11月15日。
行く前は億劫だったのに、行ってみたら楽しくて、気づいたら家に戻ってきていた。
そんなことがよくある毎日だ。億劫が大きすぎると行くのをやめてしまうことすらある。行ってみたら楽しかったろうに。もったいないことだ。
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今回の村の滞在もそうだ。行く前はめんどくさくてめんどくさくて仕方なかった。やめたらどうなるかすら計算してみたりもした。でも約束しちゃったし、ドタキャンするほど嫌でもないし、仕方なし荷物をまとめた。
気付いたらもうダカールに戻ってきている。
なんだかんだ、やっぱり楽しかったのだ。未体験に出会う毎日。おそらくあの村に行くことはないだろう。だとしてもあの一期一会の楽しさは経験できてよかったなあ。
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なんで楽しくなろうに、あんなにめんどくさくなるのだろう。
考えやすいのは、現状の維持は楽であり、そこから腰を上げるのが苦労だからだろう。新しいことを知るということは、楽しいけどもそれもまたストレスなんだろう。負荷がかかるからこそ楽しいんだ。でも頭と体は疲れるんだね。
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だからこそ、計画しているときは無責任で楽しい。どんどん計画を立ててしまう。それを達成し終えた自分はどんなに高みに立っているだろうことか。実際に目の前にするべきことはないんだから。まったくもって他人事だよ。
でもその勢いがないと、重い腰が上がらなくなるのも事実なんだろうなと思うわけです。勢いが大事なのよ。ガンガン決めちゃって、後で後悔して、なんだかんだ楽しく終わる。自分で操作できることってそんなんばっかりだ。
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僕がいま日本に帰って真っ先にしたいのは、風呂に入ることです。あったかいお湯に足先から肩まで浸かって、ゆっくりため息なんてついちゃって。
でも実際に家に着いたらめんどくさくなって、寝るんだろうな。なんにもせずに。翌日になって、自分の臭いが気になってようやく、しぶしぶ入るのが風呂ってもんだ。
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どうやったら重い腰って上がりやすくなるんだろうな。責任感とかじゃなくて、楽しくって腰があがっちゃうような。
そんなシステムがあったら、僕はその人にノーベル賞をあげたいよ。