〈412.ひとり考〉
11月14日。
ダカールにいた時はそれほど感じなかったけど、村に来てから露骨に感じることがある。
一人でいるのはよくない、という認識だ。
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僕は村にとって突然のゲストであり、待遇を良くしてくれているのだと思っていた。
例えば飯を食べる時、必ず家族と食べさせてもらうし、時間がずれても誰かが近くで座っている。特に話すとかないけど。
学校見学への道中でも必ず道案内の兄ちゃんが話してくれる。
これだけならゲスト扱いとして良くしてくれているのかもしれないけど。
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朝起きてから日が落ちるまで、村で一人の人はほぼ見ない。見るとしたら、仕事で店に座り込んでたり、夜にちょっと買い物に行く間の数分とか。それしかない。
これは、単純に村生活は暇なので話したりするくらいが娯楽になっているだけかもしれない。別にそこに知らない倫理観があるとかではないと思える。
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ただ、しゃべらないけどずっと隣同士座り込んでいるのはなんなんだろう。空気を見つめる時間をひとりではなく二人で過ごすのは、やっぱり暇だからだろうか。男衆が昼飯を食べる時は、まさに同じ皿の飯を食べるし、その後も木陰でお互い携帯をいじったり、時々話したり。
家帰っても、やることないしなぁ。
僕が家で本を読んでいると隣の家の青年がやってくる。なんともなしに、僕がいままさに寝ているマットレスに寝転がり、携帯をいじる。
最初は抵抗があったけど、まあ共有経済というか、所有感覚が日本と違うんだなあと思って、一緒に寝転がってたりもする。
特に話はしないけども。
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ちょっと前にダカールで突然話しかけてきた英語ぺらぺらの学生が言っていたことがある。
"僕の家では、一人というのは闘いなんだ。ひとりでいるのはよくないし、食べるときは誰かと一緒に食べるんだ。孤独っていうのは一番良くないことだ。"
そういって、美味しそうに高そうなバーガーを目の前でむさぼりだした。俺は30円の無味のフランスパンを水で流し込んだとこなのに。
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彼がセネガル人だったのか、隣国から来た人だったのか、いまでは確認のしようがないけども、そういう文化もあるわけだ。
日本にいると自分の部屋をもらうのが、成長の証だし、あんまりベタベタ付き合うのは"つるんでいる"とかで、あんまりいい表現はされない。
もしかすると僕の家族とか身の回りだけが限定的にそうだったのかもしれないが。
その文化で僕は育ったので、一人の時間がないのはちょいとストレスであったりする。
でも人の目があって生活するってのは、ちゃんとしようと思えるので真面目になるっちゃなるので悪いとは言えない。
そしてなによりさみしくならない。
孤独って悪くないと思うけどな。孤独を経験してわかる自分っていると思うし。でも孤独すぎると体に良くない気もします。
結局バランスなんだろうな。