11月20日。
セネガルでは一人部屋を借りることはしていない。泊まっていたゲストハウスはドミトリーだし、いまは友人の家に居候させてもらっているし。どこでも誰かがいる。これは良いことなんだけども、若干疲れることでもある。
。
日本にいるときはむしろ逆だった。一人暮らしでなにか機会がなければ話すことはない。授業がない日なんて特にそうだ。1日誰とも話さないことすらある。そういうときは無性に誰かと話したくなって、意味もなく友人をご飯に誘ったりもする。
いまはむしろ逆だ。
セネガルという国の性質上、話すという行為をせずには1日を終えることはできない。飯屋にいくにせよ、買い物するにせよ、必ず会話を必要とする。そして居候させてもらっているなら家でもそうだ。
ウォロフ語かもしれないし、日本語かもしれないし、フランス語かもしれない。必ず何か言葉にしなければならない。社会的動物の人間としては当然のことだ。コミュニケーションがあって社会が成立するわけなので。
しかし、僕の性格的にはストレスがある。
人目をやたら気にする性格をしているので、行儀良くし続けることを勝手に意識してしまう。相手に迷惑をかけてないか、自分は愚かだと思われないか。
まったくもって疲れる性格をしているよ。
この性格として生きているので、おそらく日本以外の国では適性がないんじゃないかと思う。
。
んなくせ、日本にいるときは寂しがりなんだからわがままな奴だ。コミュニケーションを取りたいなら取る、取りたくないなら取らない。はっきり白黒できりゃあいいのに。
できないから人間なんだろうけども、めんどくさいよなぁ。せめてモードチェンジくらいコントロールできるようになりたいよな。
。
とか文句なのか自己糾弾なのかよくわからないが、残すところ2週間なので後悔のないようにしましょうね。
一人の時間がほしいけど、同時に寂しさを感じる。矛盾した野郎だ。