〈547.離れられるということ〉
3月28日。
長旅を終え、実家に帰る。
その前にマスクをつける。そして電車に乗る。
ホントは実家に帰らないほうがいいのだろう。しかし、大事な荷物を実家に置きっぱなしで京都に戻るわけにはいかない。
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実家の人たちはとにかくお笑い好きである。母は録画されたネタ番組を見て、姉貴はスマホでコントをみる。親父は別にそうでもないけど、母が見てたら一緒に見るくらいには興味があるらしい。
そして帰省のお約束、いまのおすすめ芸人をひたすら見せられた。名前は忘れてしまったが面白かった。その人だったかな、雛壇でトークしているときにこんなことを言っていた。
「僕は間が怖いんですよぉ。だから黙んないでくださいね!」
ネタにおける間というのは非常に難しいだろう。間をあけずにズバズバとネタを詰め込むスタイルもあるだろう。けど、間の使い方が上手いと魅力的で聞いていて疲れない話になる。
たぶん、ネタだけじゃなくて映画とか音楽とかゲームもそうだしなんだってそうだ。間というのは非常に大事なんだけども、勇気がいるんだ。
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間っていうのはなんで勇気がいるんだ?
ひとつは、すべったように思えるからだ。意図的に作った間だけども、それが心と心の距離すら作ってしまったかのように思える。それが怖い。
それとタイミングに絶対性がないように思える。漫才や映画やらそういうあらかじめ決められたものにおいては確実に間がもたらされるけども、それがウケるかどうかは難しい。前後関係もあるし、なによりネタ番組ではよく言われる、空気が温まっているかどうか。これがでかいだろうな。
空気が温まっているってのは、受け手がその世界観に入ってきているかどうか。ネタなら笑うモードに観客がなっているか。映画なら没入しているか。
空気が温まってないうちは間をおくのは正しくないかもしれないな。難しい。
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"好きだから、離れられます。"
(2020/3/27,11:50)
コロナの影響下での過ごし方での話だろう。せっかく東京では外出の自粛を要請されたんだから実家でゆっくりしよう、そう思う人がいたのかもしれない。そういう方向けに呟いたのかしら。
大切に想ってるからこそ離れることができる。
大切に想ってるからこそ勇気を持って間を作ることができる。
そりゃあね、空気が温まってなかったら大滑りするかもしれないよ。ため息つかれちゃうかもしれない。でも、だったとしても、信頼してるからこそ、暗黙の了解を信じて間を開けるんだね。
好きなんだもの。
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勇気を持って間をあけてみたら、予想以上に大爆笑を生むこともあるんだろう。よしもと新喜劇時々見るけども、やっぱり間が笑いを生むよ。
京都に早く戻ろう。