FacebookはTwitterよりお堅いようなイメージを勝手に持っている。
Facebookで流れてくる情報はTwitterより信憑性があると無意識で思っていた。
でも所詮メディアは人間がつくってるものだ。人間はミスする生き物だし、話すことのどれくらいが真実なのか、そもそも真実ってなんだってところが問題なんだねぇ。
やっぱり自分でソースを辿って自分で判断を下す必要がある。
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Facebookで流れてきたのは、ネット記事でとりあげられていた専門家と政治家の対立の話だった。
ある問題についてネット上で専門家が批判したところ、その問題の責任を負っている政治家はその専門家の認識が不十分だと指摘していた。
これをネット記事では、その分野に精通した教授の話を聞かない愚かな政治家だという主旨でまとめていた。
これをみたときは、政治家は動かないんだなあと思った。
その対立構造は、実際にその政治家が行なっているツイートで確認できるそう。なのでどんな愚かな奴なのかみておこうと思った。
まあ案の定その政治家のツイートに対していちいち炎上していた。一方で政治家の味方もついていた。
その双方の意見を見てみると、専門家も政治家もどっちもどっちっぽく思えてきた。ある面を見れば専門家が正しいし、別の麺を見たら政治家が正しい。
この問題では僕の判決を下さないことにした。
もう少し双方の意見を見てみればいいし、その問題自体僕は詳しくないんだから。
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別に必ずしも意見を持たなくちゃいけないわけじゃないと思う。
でも意見を待つ人がいなければ問題はほったらかしになる。だから問題に対してちゃんと向き合って意見する人はちゃんと尊敬されるべきだ。
だからこそ、意見すれば偉いってわけじゃないこともちゃんと理解しなくちゃいけない。
ちゃんと責任を持てるときに意見をすべきだ。
Twitterはいろんな意見で溢れている。もちろんFacebookもインスタも、いろんなイデオロギーで氾濫していらっしゃるよ。
でもそのうち幾つが責任を持って投稿してるんだろうね。幾つが炎上させたあとどうなるか想像してるんだろうね。
静観する勇気もあっていいと思うし、けっこうみんなそうしてるんだと思う。少数の目立つ言葉選びする人が意見っぽいものを投稿しているのが目についちゃうだけで。
どうせなんだから可愛い動物とか、おいしい食べ物とか。そういうので満ちた投稿の方が幸せになれると思うよ。
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引っかかっている言葉。
意見において真ん中っていうのは存在しないんだ。必ず白か黒かに分かれるんだ。そうあるべきだ。
高校の時の友人が言っていた。
まあそうかもしれないけど、とりあえずあんぱん食べよっか。