ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈656.心と風景〉

7月15日。

 

なんだか不思議な気分だ。

今日は最近毎日雨が降る。一日中じゃないけど、起きてから寝るまで、必ずどこかで雨に出会う。ずっと雲が覆っていて、太陽を最近ずっと見てない。

 

今日も家でパソコンに向かって、雨が弱くなった頃を見て外に出た。雲が薄くなっており、雨に降られずに大学院にいけそうだ。いつもの道で鴨川が見える。最近はずっと濁流だった。今日もそんなに澄んだ色はしていない。

 

人がいない橋の上からチラと鴨川を見るときれいな青が見えた。ここ1、2週間見てなかった色。どうしたことか。薄くなっていた雲に切れ目ができて、きれいな青空が一瞬見えている。それが川に映っているらしい。川そのものが濁っているだけじゃなくて、曇天も川を濁らせていたようだ。

 

 

ちょいと電車にのる用事があった。ちらほらと人がいる。相当ガラガラじゃないかぎり僕は椅子に座らずに立っている。ちょうど立っているくらいの人数だ。また曇天になった空を窓からぼんやり眺めていると懐かしい景色がある。2年前学部生の頃に住んでいた街やちょっと遠出しようとしたら通らなきゃいけない長い国道。

ついこの間のことなのに、なんだかずっと昔の、もう手に入れることができない宝物を眺めるみたいな、そんな気分になった。

 

 

自分の気持ちは自分で作っている以上に、まわりの環境が作り出しているような気がする。そりゃあ心を自分で操れたらそんな楽なことはない。それができないから、美しいものを作り出したりもできる。心っていう概念を作り出した人間は恐ろしいよ。全人類を心の概念の中に押し入れてしまったんだから。

社会心理学みたいな学問では、その個人の心をないものとして学問をスタートさせるらしい。僕ら初心者はそれに一番苦しむ。心があることが前提になってるもの。生活の一部。

 

それがいいかどうか判断するのはどうでもいいことで、あるならどうするのがいいか、ないならなんであると思っているのか。そういうのを考えることが建設的ってやつだ。

心が人にはあるから、信じるわけだし優しくしたいと思う。心が仮になくて心があるって信じる現象が起こるのは、そういうふうな概念を持ち出さないと説明しきれないことがたくさんあるから。感情はどこから来るのか、とかね。まァこれこそ考えてもしかたねえことだ。やられてうれしいことを、隣の誰かにもやってあげればいいだけじゃないの。

 

心っていうのを考えようとしても仕方ねぇや。そういうふうに世界が映るんだもの。

 

 

戦闘力97日目

735(+7)

勉強+2

運動+5

 

ひさしぶりに運動したらからだバキバキです。いきなりたっぷりやるんじゃなくて、積み上げることが大事なんだな。