ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈247.考現学的民俗学〉

私が好きな言葉遊びの達人、糸井重里さん。彼が非常に鋭いことをおっしゃっていた。

"このごろぼくはこんなことしてる、という原稿は、ある意味、いちばん考えなしに書けるような気がして、それでこの土曜日をしのぐことにします。"

6月1日のほぼ日、今日のダーリンからの引用です。

https://www.1101.com/home.html

 

おっしゃる通りで、毎日毎日練習としてこうやって文章を積み重ねているけれど、結局楽をすることを選んでしまい、最終的には日記としての要素が強くなってしまう。

 

日記を否定するつもりはさらさらない。ただ、私が目指すものは日記ではなく、なにか議論のタネになるような楽しい話を書いていきたい。だから私の場合、日記だと不適切なのだ。

 

じゃあ机上の空論みたいな楽しいSFとか小難しい抽象的なものいいのかというとそういうわけでもない。そういうのは悪くはないんだけど、読んでてもっと楽しくなる方法がある気がするのだ。論文って読んでて辛いじゃない。

 

ということでやっぱり書きたいのは、日常であったことをしなくていいほど深掘りする、ということである。見過ごす風景を掘って掘って掘り尽くす。それが面白い気がするんだね。

 

学問で言えば、考現学っていうのがある。考古学をもじってつくられた学問である。民俗学柳田國男の弟子?であった今和次郎。彼が作り出した。解説によれば、柳田國男が形のない過去に注目したのに対し、今和次郎は形のある現代の物に注目した。関東大震災後の東京の姿を残そうとしてはじめたことが考現学の発端らしい。

 

私のこういうことがしたいのだ。柳田國男への憧れから妖怪好きになったのだけれど、物に注目して文化を細かく分析していくのも面白いのではないか。そして私の場合、フィールドがアフリカになるのだが。

 

考現学的な、それでいて形のないものが面白いと思うんだね。みんなの興味はどこにあるんだろう。だいちの映画論評とか、身になるミニ知識講座みたいなものも評判いいのよね。私の興味はずれているのかしら。でもまあ、いいや。

 

なにか議論になる楽しい話題を提供したい、といいつつ、今日もまた日記になってしまった。