ホウチガブログ

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〈862.親友のこと〉

2月6日。

 

すごく偏見のある話になるかもしれないし、まったくもって見当違いかもしれない。なのでこれからブラッシュアップしていくっていう話の元だとしておこう。

僕は数人の親友をもっている。親友の定義にもよるかもしれないが、いつ連絡しても気にしない、相手のことを気にせずに会話ができる、この二つを超えてくれる人たちを親友としておく。そんな親友の特徴として、「比較的理詰めな人」「納得しないと理解しない人」という共通点があると思った。今日はその話。

 

 

例えばの話、僕の親友たちはみんなが集まってるから行こうぜ、という誘いには一切興味がない。なんで?という顔をしてくる。そこに自分の興味もなければいく論理もないというような感じだ。

そこで、そうやって集まるのは多分最後になるし顔くらい出しとくほうがいいんじゃね?というと、まあ仕方なし行くか、というめんどくさそうな感じを出してくる。

 

なんというか、和を乱す存在にもなっていると思うが、そもそもそんな気を使う場には和なんてないぞというような感じだ。表面的な関係は要らんでしょうというような。

 

こういう例以外にあまり思いつかないけど、それだけ自分と自分の人生に軸があるという感じに尊敬をしているし、居心地が良い。もちろん、おまえもっと人と仲良くしとけよとか思うし、ギブアンドテイクだけの人間関係の冷徹なやつだと思うところもある。

 

 

かくいう自分のことはあまりよくわかってないけども、少なくとも人が集まった場所にはいるようにしていると思う。こう文字にすると主体性のないやつだと思うんだけども、しかしまぁそういう人間も必要なんじゃないかということにしよう。

つまり、親友と僕とは真逆な人間だと思うのだ。しかしすべてが真逆なわけではない。似通った興味があるから会ったときに相手の興味のある話ができているんだと思う。じゃあ何において真逆なのか。

 

人間関係における自分の置き所だと思っている。極端に言えば、僕は他者がいなければ自分の存在が証明できないと考えるけど、親友たちは他者がいなくても自分の存在は証明できる、というような感じだ。

 

 

結局なんの話かわからないけど、僕が居心地いいのは人間関係では逆だけど、共通点が多い人なんじゃないかと思った。

正解がなんだかわからないけど、ひとつ考える指標だと思った。

じゃあ、相手にはどうすれば居心地がいいやつだと思ってもらえるのだろうか。次はそこらへんも考えてみたらいいかもしれないな。