2月24日。
最近大学院の同期とメシに行く回数が多い。僕の生活空間が大学院と一致するようになったことが一番の理由だけども、同期もメシに誘いやすくなった気がする。
単純に論文が提出できた人が増えたりとかもあるんだろうけども、それ以上に無意識下で別れが近づいていることもひとつあるのかもしれない。
俺だって3月から関東生活の予定だし。京都に軸があった全員がバラバラにそれぞれの次のステージに進むわけだ。大学卒業の時もそうだったけど、それ以上にフワッとした関係でありながら、同時に数少ない同期ってことで寂しさがないわけでもない。
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昨日の友人とも話をしたけども、ある意味我々は第一世代だと思う。コロナ第一世代。コロナ期に論文書いた世代。フィールドワーカーが集まる研究科としては前例がない文献での論文だったり、ネット情報を利用した論文。
後輩たちの参考になるかはわからないけど、ある意味基準をつくったかもしれない。そう思うともうちょいちゃんとやったほうがよかったかもしれないとも思うし、後輩のためには易しい論文が優しいよね。
コロナは基本的にはネガティブな状況を作り出しているわけだけど、こういうネット社会×パンデミックは我々が初めてなわけです。そんななかで学生から社会人を過ごせたのはなかなか貴重な経験だと思う。
みんなが文章を書き残したら数百年後には、ここから時代が変わったんだという目に見える変わり目になるんだろうな。
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これまでの先輩方に比べたら直接会って話をする機会は、我々の代は少なかったに違いない。でも、だからこそ不安をお互いでカバーしあったんじゃないかな。もちろんそれが迷惑になったこともあったかもしれない。
でも結果的には今度メシに行こうやと言える仲が続いているわけだし、不思議にも先輩方よりも同期の仲が良いと評判である。
乖離があるからこそ、逆に密接になることもあるんだろうと思った。
貴重な時期を大学院で過ごせたのは大事にしていきたいですよ。死ぬまでとは言わんけど、しばらくは誇りある2年間だったと胸を張れるかな。