〈755.モロモロ〉
10月22日。
研究者ってある意味芸人みたいなものだよね。
先輩が言った。
ああ、それだ。僕が抱いていたもやもやは。
大学院はNSCみたいなものか。たしかにな。
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NSC時代に、面白い人であれば劇場の前座くらいには出さしてもらえるとか。
研究でいくと、優れた若手であれば論文集に投稿できたりするような感じだろうか。あるいはちょっとメディアで取り上げられたり。
そして、一番芸人と似たようなところがあるとすれば、経済状況だと思うんだな。
大学院生は、学部生同様、奨学金をもらうかバイトするかに限られてくる。そしてなにより、大学院博士課程を終えたからと言って確実な場所があるわけじゃない。先輩の話だと、バイトしながらとりあえず席だけ置かせてもらうパターンもあるとか。研究関連のところに席がないと、論文も投稿できないし、研究に関する奨学金もおそらくもらえないと思う。
これは、とりあえずどこかの事務所に入ることで仕事のツテをもらえる芸人のようなものだろうか。よく聞く話だが、売れない芸人時代はひたすらにバイトで食い繋ぐとか。
研究者も同じで、業績と呼ばれるもの、論文が論文集に載った、研究会で発表した、とかそういうものがなければお金をもらえる可能性は非常に限られてくる。
僕は親の赦しをいただいて、親の金で生活をすることになっているので、とんでもなく恵まれた身分であることに間違いはない。なので、こういう研究者の実態は、自分の話ではなく先輩の話でできたものだ。
そして進学を現段階で選ばないのは、経済的に見えない未来に賭けるほど研究に情熱がないというのが理由の一つだ。これで研究者は確実に収入がある未来であれば、博士課程に進むことも間違いなく選択肢にはあった。
もちろん、会社に入れば絶対平気かと言われればそうではないんだろうけども、どこどこに〇〇年勤めたという「業績」があれば、他の会社に入れてもらえる可能性も十分にあるということだ。
そしてそっちのほうに僕の情熱が向いているのでそうなる、という話。
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だからこそ、研究者になろうという人をとんでもなく尊敬する。それほどの情熱を研究に見出していること、そして人生を賭けるほどの意味を見出していること。すべてにおいて頭が上がらない。
芸人も同じだ。バイトで生活することの苦しさは学部生時代に感じた。それをしながらもなお、夢を追い続けるというのはなんとも言葉にできない。敬意しかない。
逃げたやつ、と後ろ指をさされないようにも就職活動は全力で挑まねばならない。それはひとつ覚悟をもってなすべきことなのだ。
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戦闘力195日目
1314(+5)
勉強+2
その他+3
人生の責任を負うと言っても、その方法はさまざまにあるんでしょう。
あたしは今日与えられていた仕事をさっき思い出しまして。すっかり忘れていたよ。責任果たしてねぇやな。反省なさい。
そういや約束のネバーランド、面白いっすね。