ホウチガブログ

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〈1054.運要素と遊び〉

8月16日。


最近マージャンをする機会が多い。
半年から一年前くらいにルールをうっすら覚えたというのもあるかもしれない。役を覚えるのがまったくできないので手探りでどうですかみたいなマージャンになるわけだけど、それも含めて面白い。
遊びには一定の運要素があると楽しいというのはそういうことだ。

 

 

例えば、メタル狩りをするのは明らかに運要素の面白さである。
ドラクエで経験値を大量に抱えたメタル系といわれるモンスターを倒しまくることをメタル狩りというが、攻撃がなかなかあたらないように設定されている。しかもなかなか出会えないし、出会えてもすぐに逃げてしまう。
だからこそ倒せたときにはとんでもなく気持ちが良い。
これは明らかに運に勝った時の気持ち良さである。
しかし、だからと言ってこれをゲームの核にしてしまったら意味がない。メタル狩りをするのはあくまでキャラクターのレベルを挙げるための一時的なギャンブル行為であり、目的はボスの討伐やストーリーを楽しむことにある。

つまり、運はあったほうが楽しいけどもそれだけで核にはしないほうがいいだろうということだ。

 

 

マージャンでいうと、たぶん「ツモ」がそれにあたるんだと思う。
役が揃いつつある自分の手札に、山の中から一枚引いてきたら役が完成した、みたいな状態、だと思ってます。初心者なので自信ないけど。
これは確かに待てば待つほど気持ちがいいものだけど、自分の力で役を揃える、という前段階の苦労があるからこそ気持ちがいいものだ。
最初から全部山札から引いてきて、役はできたかなみたいなゲームでは全部運次第でまったく競うところがない。複雑にしたじゃんけんみたいなものである。

 

「ポン」「チー」という他の手段で役を揃える方法もありながら、「ツモ」しながら役を揃えるという周りとの駆け引きがメインにあり、その不確実性の要素として運がある。


ポケモンの最強ポケモンが対戦でできてしまったらつまらなくなるようなものだ。おやこあいのガルーラが出てきてしまったらそれはもうゲームではなく作業になる。
そうならないように、できる限りの不確定要素として急所にあたったり会心の一撃があったりする。

つまり、運は核にはしないけど必須だということだ。

 

 

こういうことを学ぶためにも、テーブルゲームで遊ぶというのはとんでもなく大事なことだと思う。
デジタルではないから、製作者側は後からルール変更というのができない。だからこそ複雑にしすぎず、だからと言ってシンプル過ぎない面白さが必要だ。

今度テーブルゲームカフェみたいなところ、行ってみようかしら。