〈925.家事と達成感と居心地〉
4月10日。
実家に帰ると犬の世話くらいしか家事をしないので、それはあかんということで洗濯と食器洗いを担当することにした。それなら料理みたいになにか不満が出てくるようなこともないので気楽である。
ということでお手伝いではなくきちんと担当することになったので実家でも居場所ができた。
。
しかしながら家事っていうのはいいもんだね。頭使わずにやれるけど、やらなきゃ困るのでだれかはやる。そう言う仕事好きなんですな。トイレ掃除とかゴミ拾いとか。そういうのいいんですな。
多分その延長でドラクエのメタル狩りもあるんだと思った。頭使わずに目標達成の気持ちよさだけ得られる。いいもんだ。
目標達成の気持ち良さってのはなんだろうな。達成感を簡単に得られるのはそれは達成感だろうか。家事の良さってのも任務完了の気持ち良さだろう。もっといえばゲームの気持ち良さもそうだ。あれこそ現実にはなんにも影響ないけども気持ち良さだけが残るもんだ。
。
達成感って本来なら難しいことをやり遂げた時に得られそうなもんだ。難しいっていう人によって違うものが指標なので、定義づけが難しい。オリンピックの金メダルを取るのと汚い部屋を掃除し終えることじゃあわけが違う。
しかしながらとりあえず達成感という点では同じかもしれない。この達成感がなんで欲しいのか。
なんか遠い話のようなきがするけども、どちらも生きることを肯定できるからなような気がする。気持ちいいことをなぜ求めるのかっていうと、気持ちいからだということになるんだけども、意味づけをするならば生きた理由がそこに生まれていると言える気がする。
その時僕はこれこれをしてました、といえると何かしらに貢献してたことになる。そしたら一定の社会性を確保できる。つまり生きてますよと言えるわけです。
。
むりやり社会的なつながりに答えを求めがちな気がする。達成感になにも理由なんかいらないだろうな。おまけとして肯定感を得られるけども、肯定感は求めて得られるものじゃないものね。
あたしが家事を担当するようになったのは家での居心地を良くするためで、それは家族の一員としての意義を得るためです。
それこそ家族であることに理由なんかいらないんだけどもね。みんなの虫の居所が悪くならないようにね。