{7.あの人}
"いやーほんま助かったわぁ。でもさすがに悪いことしたかぁ。あとで返さんとあかんな。外回り終わったら返しいこ。"
この関西訛りの若い男はずっと相手もなしに報告を続ける。USB入りの私の重要性も大して理解せずこいつは大丈夫なのか。話すすべてがまるで"フラグ"のように聞こえて男の身の安全が気になる。でもまあ、運も悪そうだが、同時にタフそうでもある。
何度か立派なオフィスに出入りする様子を片目で見守ると、雨が止み綺麗な夕焼け空になった。
"ええなぁ。やっぱ綺麗や。こんな時、となりに綺麗な人がおったらもっとええねんけどな。しゃあないわ。傘返して飯食いいこ。"
たぶんこんなんだからひとりなんだと思うんですがね。
私を返しにいく道中、男は不運にも車に水をぶっかけられた。まあ、なんだ。私からしたら予想できていたのだが、やっぱり運がない。
"ほんまついてへんわ。せっかくクリーニング出してすぐなんに。いまから出せるとこ探し行かんと。最悪や。ほんま。"
男はカフェから反対方向に足を向けると、薄暗い中に映える、賑やかな通りを目指した。
"おばちゃん!すまん!すぐお願いできる?このスーツ、明日朝取り来たいねんけど!"
"またかいあんた。明日の朝?うーん。できるにはできるけど、あんた脱いだらどうすんの?着替え持ってんの?"
"あーあかんわ。持ってないわ。おばちゃんなんでもいいから貸して!スーツ取り来た時返すわ!頼む!"
"まったくそんなんで会社でやってけてるのが不思議だわ。待ってなさい。"
おばはんが奥に入っている間、男は私を机に立てかけ、忙しそうに指でリズムを取っている。
"これ。あんたがむっかし預けて引き取りに来なかったジャージ。役に立ってよかったねぇ。"
"おばちゃん!ほんまあんがと!助かるわ!ほな、これスーツ代な!明日7時にくるわ!頼むわ!ありがと!"
"はいよ。次はもっとはやく来るんだよ!ったく。…ってあんた!傘忘れてるよ!"
"おばさん。その傘、私が届けますよ。"
男が出て行ってすぐ、別の男が開いた自動ドアをするっと入ってきた。
あ。サイゼリヤ行ったあいつじゃん。USB盗まれた。西森!
〈197.深夜テンション〉
深夜テンションという言葉がある。日中頑張った人、理性的な人が夜中になるとそういう"フタ"がぶっ飛んでしまい、どうでもいいことがツボにはまってしまったり、わけのわからないことに熱中してしまうようなことを指す。一時的なハイ状態である。
私もよく深夜テンションになり、朝目覚めると反動で軽度鬱になる。しかし、深夜テンションというのは気分が良いからタチが悪い。妙に哲学っぽくなるし、深く考察を始めたりする。どんどん真理に近づいているような感覚がたまらない。ところが、朝になり落ち着いて見直すと自分がすごーく恥ずかしく思えてくる。なんでだろう。
この毎日の文章もぶっちゃけ深夜テンションで勢い任せに書いていることがほとんどである。
恥ずかしくてしかたないのだが、同時に大事にしたいところでもある。
最初に言った通り、"フタ"がふっとんだ状態である。世間体とか見られ方とか理性とかそういう社会的存在としてでなくなり、宙にふわふわと浮いているような状態での言葉。これは自分の核の中の核。コア十文字の思考がそのまま出ているように思えるからである。
ハイ状態から目覚め、否定したくなる自分も、また、自分なのである。それを認められたら、きっと新しい風景が待っているのではなかろうか。ある意味、真の覚醒状態が待っているような気がする。
こうして毎日恥ずかしい文章を上げ続ければいつかなにか見える世界が待っていてほしい。いや、待ってろ。待っててもらわないと救われん。
これもまた、深夜テンションなのだ。あぁ。恥ずかしい。むしろ覚醒しなくていいわよ。このままいつまでも酔っていたい。アルコールなくて酔えるなんて安上がりじゃないの。
〈196.五里霧中〉
金曜日。新生活が始まってなかなか慣れない1週間がようやく終わった。
表現の通り、久しぶりに疲れた。楽しかったんだけどもね。
ようやく休めることになる金曜の午後。所属する研究科で新歓パーティを催してくれたのだ。教授も出席するし、先輩もほぼ全員。気づけば外部の人もうじゃうじゃいるじゃあないか。
そういうこと。新歓という名の、年に数回の研究者たちの集いの場である。新入生はむしろコミュ力を試される場である。外部の人とコネをつくることもできる。新しい発見もできるかもしれない。素晴らしい場である。
私はというと。
予想通り1時間ほどで引き上げ、院生室の机とにらめっこをすることになった。
もちろん、話したい内容があれば積極的に行く可能性もある。コミュ力不足とはいえ必死な時は必死だ。だけども、研究テーマが入学わずか数時間で打ち砕かれ、対象地域すら未定の私は鏡を見て自分と戦うのが最優先なだけである。
軸が何一つない時にお話しさせてもらっても、自分の潜在している軸が消失するだけだ。それならその機会を捨ててでも軸を見つめることを優先した。そうしないと僕は僕の人生を歩めないことをこの前知ったので。
そういうことでパーティのほぼ全ての時間をノートとペン、参考書類で埋もれた。遠くから聞こえる楽しそうな声と美味しそうな匂い。寒く狭い机で、腐りかけのバナナを牛乳で流し込む。
来年は研究者の一人として話せることがあってほしいねぇ。
〈195.牛乳の話〉
今日は遅くなってしまったので短くさせてもらいます。
住んでいるところから歩くと4,50分かかるところに店が立ち並ぶ都会がある。とりあえずそこにいけば服でも本でも雑貨でも、揃わないものが基本的にはない。その中の、特にお金持ちの奥様向けのお高いお店が入っているモール?みないなやつ。そこの最上階で北海道展をやっていた。
北海道といったら牛乳。ジャージ姿の男が入っていいのか怪しいところではあるけども、牛乳飲みたさに周りの目を気にせず突っ込んでいった。
買った。1リットルないくらいで1000円するやつ。飲み比べで二本。包装やらビンやらやたらお洒落なモノだ。前に並んでいた奥様は家族と一緒に飲むとかなんとか店員さんに話しながら一本買っていた。そのあとにジャージ男一人が二本買うのはしんどいぞ。
金持ちジャングルを耐え忍び、ようやく家に帰ってこれた。よっしゃよっしゃ。いざ飲まん。
結論。うまい。こってり濃厚、もはや甘いくらい。北海道いったら毎日飲めるのねぇ。それはいいわね。
だけども。ぶっちゃけ2000円あったら普通のスーパーの牛乳なら、1本200円で見積もったとしても10本。それと匹敵させていいのかと疑問を抱いてしまうのは貧乏性なんだろう。まあこれも経験さね。結論牛乳はなんでもうまいよ。
あたしみたいなもんは、お高いプディングより100円プッチンプリンが好きですから。
貧しい舌ですな。
身の丈にあったものを買いましょう。経験も大事だけども。
〈194.時間とか価値とか〉
めんどくさい。雨も降ってて天気が悪い。布団の外は寒くて出る気になれない。なんか眠いし、お腹も空いてる。一回くらい授業を休んでもいいでしょ。
あぁ。でも今日の授業は出ないといけないんだった。おまけに教授に面談をお願いしてるんだった。さすがにしょっぱな休むわけにはいかねぇやな。めんどくさいなぁ。あー、30分後には始まっちゃうんか。仕方ない支度するかぁ。うー寒。
そんな朝も気づけばもう24時を過ぎてしまった。めんどくさかった授業のおかげで自分の起源を思い出せた。そのおかげで教授の面談もいままでで一番学びがあった。
もし、あそこでもう一度夢の世界に戻っていたら。夢の世界は楽しめたかもしれないけど、現実は何一つ進まなかった。むしろ後退していたかもしれない。
現実というのは生きる時間を短くすればするほど帰ってくるのが難しくなるようにされているようだ。
ところが、現実を生きれば生きるほど充実するわけではなく、1時間が5分程度の価値しかない日もあれば、50時間分くらいの価値がある日もある。まったくもって予測できないし、不平等なのだ。
今日という日も、正史では1時間の面談と1.5時間の授業が100時間分くらいの価値があった。
ifの世界では、面談も授業もなく0の価値だった。もちろん、これも今という時点での歴史的認知でしかないのだけれども。
つまるところ、いつでも何倍の可能性を求めて頑張り続けないとチャンスは手に入らないんだね、という学びの日だった。
(とはいえ6ヶ月くらいの熟成期間があったおかげでの価値爆発だったんだろうけど)
けどやっぱりめんどくさいので、しっかり寝ましょう。寝足りなかったら寝ましょう。自分の健康が一番だからね。寝て食べて。それでっから、しっかり生きましょう。
明日もたぶん、めんどくさい始まりの1日なんだろうな。眠い。
〈193.賢者〉
小学生の頃、さんすうの文章題がわからないことがあった。いつも母親に相談していたけど、父親が休みの日でゴロゴロしていたので聞きにいくことになった。
そしたら、まあ小学生には理解できない、小難しい言葉選びと概念的な説明でちゃらんぽらんだった。それを見かねた母が一言。
"ほんとに頭良い人はそんな難しい言葉使わないでしょ!"
親父はしばらくしょんぼりしていた。
これとは反対の経験をここ最近経験している。
今週、ふたりの教授にお時間をもらって色々お話をさせてもらった。おふたりとも研究領域では並ぶもの無しの大先生である。大先生ともなると、発する言葉一つ一つが難しかったり、重いものであったりするのだと思っていたが、そうではなかった。おそらく僕の目線に合わせて言葉を選んでくれたのだろう。わかりやすかった。それでいて絶対性を持った言葉でなく、議論の余地のある話であった。良い時間を過ごさせてもらった。
研究について考え直させられたのはもちろん、人間としても優れた人なんだなあと思った。研究者となると、じゃっかん頭カチカチ星人になったりする可能性がある。学部時代そういう人に教わった時期もあった。そういう人は言葉選びも態度も、なんというか、好きでない感じであった。
うむ。恵まれた研究室に入ったものだ。
賢くて、優れた先生がうようよキャンパスをしているなんてなぁ。
ありがたい限りだね。無駄にできないよ。
ちょっと疲れたけども。