ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈746.心の在処〉

10月13日。

 

さて、全仏オープンも終わり、体調も健康に戻った。しかし、明日が研究でちょっと大事な日なので短めに終わらせてもらう。

それなら毎日書くのやめちゃえば良いんじゃないかと思うけど、試しに2年間ほぼ毎日やってみろよ、今度はやめることに一つ決断が必要なんだぜ。

ということで、決断はまた先送りにさせてもらいますぅ。

 

 

さて、2年かかって、あるいはもっと時間がかかったけど、僕はあんまり小説を書くという才能はないし、思ったより情熱もないらしい。それよりも、こうやって思いついたことを永遠に書き続けることに情熱があるらしい。

小説みたいな美しい描写よりも、とにかくそういう世界観を生み出し続けるアイデアの方が好きらしい。

2年間、小説を書くのを上手くなろうとし続けたことが結果的に小説を書くことに情熱がないことを教えてくれた。

小説を万が一にでも書きたいってなったら、きっとそれは美しい表現とか、暗黒の世界とか、もっと世界を知った時だろう。つまり、まだ情熱を与えるべき対象を見つけられてないのだろう。

 

もちろん、書きたい友人のことはあるけども。やはり彼についてはまだまだ書くに値する能力がないんだと思う。

仕事について、世界を知って、いろんな方法を知った末に選択するんだろう。

 

 

今日は簡単だけど、こんなところで今日の発散はおしまい。2年の末に見つけた心の在処。

とはいえこれからも心の在処は変わっていくだろう。実践しながら、確認しながら、また探しながら、そうやってこれからも生きていくんでしょうな。

 

 

戦闘力186日目

1257(+8)

勉強+6

その他+2

 

在処は「ありか」と読むらしいです。好きな音楽の名前だったけど、読み方分からなかった。

「ピュアヒューリーズ〜心の在処」聞いてどうぞ。

〈745.続き〉

10月12日。

 

圧倒的にナダルが強かった。確かにジョコビッチの出だしはあんまり良くなかったし、テンション上げるのが遅すぎた。

しかし、それはある意味ナダルが引き起こした事態だといえる。ナダルがあれだけ駆け回って、要所要所で緩急つけてペースを掴ませず、そして攻める姿勢を示し続けた結果、ジョコビッチがドロップショットに逃げざるを得なかったと思える。スマッシュを一回返すのが当たり前なんだぜ。そりゃあもうテニスじゃないよ。

一昔前の、体力とかの概念がないテニスゲームの試合でもみているような気分だった。

 

 

そしてナダルは全仏100勝、グランドスラムは20回の優勝。わけわかんないね。一回優勝することすら99%のプロテニスプレイヤーはできないのに。フェデラーも20回の優勝、ジョコビッチは17回の優勝だったかな。

市場が良くないよ!寡占よ!

フェデラーナダルジョコビッチ、三人とももう30過ぎてるのに、なんでまだ現役バリバリで誰も寄せ付けないのよ。

10年くらい前は、27-8くらいが1番の盛りでそこから弱くなるもんだと思ってたんだけど。30歳とか引退考え出す時期じゃないの?

どうやったらあんなに走り回れるんでしょうか。むしろ、いったい何歳まで現役なんだろう。永遠に試合に出てそうで恐ろしいよ。

 

 

プレースタイルは徐々に変化があるけども、体力が落ちてる様子は決勝を見てると一切感じなかった。むしろ、両者とも拾う範囲が広がってるようにさえ思える。

テニスの進化も恐ろしいけど、それよりナダルとかジョコビッチとか、個人でさえもこんなに変わることができるっていうのは一つ希望にもなる。

世界一でも努力し続けるんだから、我々なんてもっと努力すべきなんでしょうな。

 

いやぁ、えらく感動しました。ナダルかっこいいわぁ。ゾーンに入ったジョコビッチも見たいけども。また次の対戦が楽しみだ。

 

 

戦闘力185日目

1249(+7)

勉強+5

その他+2

 

テニスしたいなぁ。見てるだけじゃあ物足りないよ。試合に出て勝ちたい。

 

〈744.セルフマネジメントのために〉

10月11日。

 

夢見が悪いというのは、体調と関係してるのかもしれない。というのも、昨日の夜から体調が良くない。その前兆として夢見が悪かったのかもしれない。予知夢的な?わからないけどもね。

 

そういうこともあって、ここのところこの毎日の文章が適当にもなっている。なんだか頭がスッキリしない。夜まで集中力がもたなくなっていることの現れだろうか。

全仏を夜中まで見ているせいだろうし、夕飯作るのが適当になってきているし、全体的にあまりいい流れだとは言えない。

しかし研究はここのところ調子良いので、難しいところだ。いずれにせよ、今週は研究頑張らないといけないので無理矢理にでも進めるが、来週は少し息抜きとしてグダグダ寝てやろう。

 

 

前置きが長いけども、ちょっと頭使う習慣があると、体調やらメンタルやらの変化が顕著に現れる。なのである程度セーブするかガンガンいこうぜなのか、判断材料になる。

例えば、この毎日の投稿もいつもは20-30分で出来上がるけど、それより時間がかかる時はどこかおかしいときであるし、書く内容にやりきった感がないときも、どこかおかしいときだ。

まとめる能力というか、書きながら終着点を見つけられないというか。そういうときは、自分の思考を俯瞰できてないので危うい。

 

例えるならば、ハンドルばかり見て自転車を漕いでいるようなものだ。

行く先までのルートはもちろん、目の前の赤信号とか歩行者とかを気にしながら、タイヤ付近に落ちている小石に気をつけながら、漕がなければならない。こう書くといろんな作業を同時並行する難しい行動のように思えるけども、実際は普通にこなすことができる。

それができないんだもの、どこかおかしいに決まってる。

 

 

ということで、毎日文章を書いてみたり、毎日計算してみたり、毎日絵を描いてみたり、毎日バイオリンを弾いてみたり、毎日ランニングしてみたり。そういう習慣をオススメします。

たぶん、老化の防止にもなるでしょうし。自分の管理、セルフマネジメントにもなるし。

まあ気づかないうちにやってたりするもんですよね。

 

 

戦闘力184日目

1242(+6)

勉強+4

その他+2

 

全仏決勝、ナダルから6-0,5-1の現在。ちょっとナダル強すぎないかい。ジョコビッチのミスが気になるけども、それよりナダルが強すぎる。

さすがにもう寝ようと思うけど。これは誰も勝てへんで。

〈743.夢見〉

10月10日。

 

ひさしぶりに悪夢を見た。

冷静に思い出すと、それほど悪夢ではない。なのに見ている時は嫌で嫌で仕方ない。いったいなんなんだろう。

 

 

夢はその日の出来事の記憶がヒッチャカメッチャカに組み合わされたものだとか。確かに悪夢に限らず夢を見る時は、その日あった印象的な出来事がたくさんあった時に、それが組み合わされて出来上がることが多い気がする。

しかし、良い夢を見るときもあれば悪い夢を見るときもある。そこになにか決まりごとがあるわけではない。起きてる間に不安なこととか嫌なこととかがあったら悪夢、というわけでもないし。

 

 

中学生くらいのころにクラスで流行った話があった。夢の中で空を飛ぶのを意図的にできる、という話だ。

夢の中で、これは夢であると自覚でき、ほっぺたをつねる。そして本当に痛くなくて、夢だと認識できた瞬間から夢を操作できるようになるとな。

空を飛ぶこともできるし、冒険することもできる。とにかくすべてが思い通りになるとな。

この話を聞いてから、わくわくして布団に入るんだけども、コントロールなんてできた試しがない。映画みたいにどんどん進んでしまって自分の意図が入る隙がない。

ただの迷信だったんだろうか。しかし、全てが思い通りというのはロマンだ。一度くらい夢を操作してみたい。

 

 

同時に寝起きどんな気持ちなんだろう。現実じゃないことを認識したうえで思い通りに操作する。起きた瞬間虚しさに襲われるんじゃないか。

あいや、ゲームとか小説とかと同じだろうか。あれは現実じゃないと分かった上でもそういったものとして楽しめる。現実と仮想を別物と認識した上で楽しめる、そしてそこには言及しないのが掟である。

ディズニーランドで楽しんでるお客さんに、明日は仕事ですね、なんて言っちゃあネズミにぶん殴られるでしょう。

 

そしたら、夢だってそうかもしれない。ある程度コントロールした夢も、現実とは違うのを認識している。

だから起きたら、ディズニーの帰り道みたいな寂しさはあるけど、ある程度割り切ることができるのかもしれない。

というかそれがエンターテイメントだしな。

 

 

しかしながら、割り切りつつも現実に影響を及ぼすのもエンターテイメントだ。

良くも悪くも、割り切っても体も脳も同じもの。

そうなると、エンターテイメントをつくるなら、良いものを出したいものよね。

練習として夢見を頑張ろう。

 

 

戦闘力183日目

1236(+6)

勉強+3

その他+3

 

夢見を良くするためにも、現実でたくさん刺激を受けることなんでしょうな。

〈742.ナダルとジョコビッチ〉

10月9日。

 

圧倒的にナダルが強かった。シュワルツマンが彼らしいプレイができなかった。チャンスがなかったわけじゃないけど、すべてナダルが完璧に摘み取った。

修造さんの解説がまさにその通りだったけど、ナダルは進化し続けて、どんどん攻めるようになっている。10年前からずっとファンだけど、こんなにネットに出たり、リターンエースを重要なポイントで決められるようなプレースタイルじゃなかった。

シュワルツマンがローマでナダルに勝った時は攻め続けていたらしい。それに比べると、おそらく攻めるのが遅くなったのだろう。慎重すぎたのかもしれないし、ティエム戦での消耗が残っていたのかもしれない。来年の全仏は決勝まで戦うシュワルツマンが見たいな。

 

 

続くジョコビッチ-チチパス戦は途中まで見てたけど、やっぱりジョコビッチは強いんだな。チチパスの追い上げは見れなかったから全てはわからないけど、どこからでも打ってくるし、守備範囲も広いし、これはなるほど世界一だなと納得する第一第二セットだった。

 

チチパスやティエムはネクストジェネレーションを担う若手であることに間違いはないけども、ジョコビッチナダルのプレーを見ると、この安定感はまだ追いつかないだろう。

 

 

となると、もう何億回もみたナダルvsジョコビッチになるわけだ。楽しみではあるけども、代わり映えがしないというか、別選手の決勝が見たいものだ。

とはいえ、いまのジョコビッチに勝てるとしたらクレーのナダルだろうし、クレーのナダルに勝つとしたらジョコビッチが最初に挙げられるだろう。僕は完全にナダルの応援だ。

それより次のティエムやシュワルツマン、錦織、西岡の試合の方が気になる。

大会2週目に残る日本人選手が見たいし、次世代選手の進化をみたい。

 

来年は東京オリンピックだけど、楽天オープンもやってくれるんだろうか。

お金貯めて見に行きたいな。

 

 

戦闘力182日目

1230(+5)

勉強+2

その他+3

 

全仏好きだから、最近この話しかないけど仕方ないね。フランス語もっかい勉強して、お金貯めたら会場で試合を見たいよ。

〈741.創造主になろう!〉

10月8日。

 

一つ面白い話を聞いた。

消費に飽きてきている我々は、生み出す側にまわりたいんじゃないか。

そういう話。大量消費社会とそれを支えたフォーディズムマクドナルド化の次の場面として、我々自身が作り手にまわることなんじゃないか。ということらしいです。

 

 

このきっかけは、どうぶつの森DIYでして、 DIYが現実でも頻繁に見るようになったり、TwitterとかそういうSNSで発信するようになったのも、個別性・特殊性・多様性が大事にされるようになってきたことからも思うわけです。

 

もちろん、これは一種欲しい情報だけを集めているだけにも思うんだけど、自分で自分の物語をつくれるようになってきているのはディズニーリゾートでも見られるそうな。

「ディズニーランドの社会学」という2016年に初版が出された新井克弥さんの本を僕はえらく気に入ってまして。

もともとアメリカのディズニーを持ってきた日本のディズニーが、どんどんウォルトが描いていた理想から離れていって、現代社会に適応してきた結果、情報と情報の整合性はともかく、とにかく情報をあふれさせるようになっており、その情報をそれぞれのお客さんが組み合わせてそれぞれの楽しさを見出せるようになっている、というような考察だったと記憶しています。

 

これを一種、社会に対するまなざしのひとつとして大事にしているわけでして、その前提で社会を見始めるとそれに適した例が無限に出てきているような気がするのです。

そうしてその例の一つとして、箱庭ゲームと言われる、広いフィールドで自由にプレイヤーが遊べるようになっているものがひとつ人気になっているんじゃないかと考えるのです。

 

 

あつもりなんかは、もともとのどうぶつの森シリーズでの個性を出せる環境に加えて、DIYっていう一種無限に見える自分だけの島づくりが可能になってるわけです。住民も当然、プレイヤーがある程度選ぶことができるわけで。

マインクラフトとかもそういうことだと思う。

ガチガチに固められた物語より、ある程度自分の選択が世界に影響があるような感覚がゲームだと必要なんじゃないかと思う。

デトロイトとかUndertaleなんかまさにその真骨頂よね。

 

物語の消費じゃなくて、物語の創出がいまの欲求なんじゃないかと、考えるのです。

根拠は薄い、ただの言説だけども。

 

 

戦闘力181日目

1225(+3)

その他+3

 

とはいえ小説とか映画とかドラマとかは生き残り続けるのはまた別の欲があるんでしょうけども。わからないね。おもしろい。

〈740.リズムを感じよう〉

10月7日。

 

自分のタイミングで歩けないというのはかなりストレスだ。通勤ラッシュもそうだし、都会の商店街もそうだ。周りのタイミングに合わせながら歩かないといけない。

高速道路の運転のストレスもそうだろう。80-100kmでぶんぶん飛ばしているところに40kmのゆっくりな車が3車線すべてを占領していたらそりゃあ頭にくる。まあ免許持ってないからわかりませんけども。

 

自分がストレスなくやりたいのなら、予定通り、自分の想定通りに歩くことだ。そして戦略的に相手に有利に立ちたいのであれば、相手のタイミングで歩かせないことが大事だということだ。

 

 

集団行動も基本的にそうだ。自分のストレスなく且つ他者もストレスなく、が基本モットーになると思う。そのために、ある程度全員が納得がいく計画を練って作戦を立てる。それが歩幅になり、それを合わせることが集団で動くことが最上の前提になる。

だからこそ、目標や計画は必須だろう。

 

じゃあ逆に戦いだったら、とにかく相手の予想できないことをすることが一番のストレスだ。

テニスのドロップショットなんかまさにそのためにある。ネット前にちょこんと小さく落とされる。そのために自分は走らなければならないし、それまで気持ちよく打ててたリズムが崩れる。またリズムを作り直す必要がある。そんな時にまたドロップショットをされてみろ。いつになってもリズムがつくれない。ドロップショットを多用したら逆にそういうリズムを作られてしまうから、そしたらまた別の戦略を練る必要がある。

 

そういう、リズムがなさそうにみえる場面でもリズムを考えてみたら、なるほどストレスが可視化できそうだと思う。

 

 

あーなるほど。それが調和というやつか。ようやくなにか理解できるような気がする。調和が乱れることのなにが不快なのか。それまで築き上げたリズムが崩れることだ。

会話も、歩調も、仕事も、勉強も、運動も。すべてリズムがあるんじゃなかろうか。いや、たぶんだれかが既に解明していると思う。リズムがある。それを意識しているかどうかが大事だろうさ。

 

 

なるほど、夜のうちに立てた計画が、寝て起きたら崩されることのストレスが半端ないのはそういうことだ。リズムが崩れた。

もう一度リズムを作り直すっていっても、それまで心地よく進んでいたものを崩されるのは気分悪いぞ。

もう一度立て直すのが得意っていうのはすごく特筆すべき能力なのかもしれない。応用力適応力があるっていうのは。

 

 

戦闘力180日目

1222(+3)

その他+3

 

シュワルツマン勝っちゃったね。ティエムはたしかに体力も精神力もギリギリだったんだろうな。

にしても、シュワルツマンもすごいや。優勝してくれ。