ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

die young

 

こんにちは。だいちです

 

 

 

もし僕が若くして死んだのなら、シルクの布で包んで

 

薔薇のベッドにそっと寝かせて、そして夜明けと共に川に浮かべてね

 

 

 

これはthe band perry の”if I die young(2010)” という歌詞の1つなのですが

The Band Perry - If I Die Young - YouTube

 

もし自分が明日死んでしまったら、というありきたりな話を考えたことがありますか

 

明日死ぬと思って今日を精一杯生きろよ、

 

とかいうことは誰もが分かっていることであっていまさら言うつもりは毛頭もありません

 

先日、あるグループyoutuberの1人が僕と同じ22歳で亡くなったというニュースを妹から聞きました

 

youtuberというものは不思議な存在でTVに映る有名人よりもよっぽど親近感があり、一方通行ですが打ち解けた友人のような身近さを感じるのです

 

ですから、その方が亡くなったと聞いた時にはえらく衝撃でした。信じられなかった。

 

僕の身の回りの生を受けたモノが僕の目の前から消えてゆくまでにはいくつかの過程があります。例えば木や花は若く生き生きとしていますが、年月が経つにつれ、だんだんと葉が落ち、そして朽ちていきます。

 

動物やヒトだってそうで、若くてピンピンしていてもやがて老いていき、そして死にます。

 

こんな恵まれた時代に明日突然死ぬことなんてほとんどないだろうと強く思っていました。しかも若いのに。それは僕の身の回りにいる、友人、家族、tvに映る有名人、youtuberを見ていると、ほら諸行無常の法則がちゃーんと証明されているじゃないかと思っていました。

 

イチローだって、ジョニーデップだって、俺の友達だって、見ろよ今日だって昨日と変わらず生きてるじゃないか。誰だよ明日死ぬかもしれないなんて偉そうに言ってるやつは。

 

だけど、ヒトは明日死ぬかもしれない

 

当たり前が当たり前ではなく、当たり前ではないと考えていたことが当たり前だった

 

いつかどこかで当たり前の反対の言葉を聞いたことがあった

 

「有り難い」

 

常にあることが難しいから、だそう。

 

僕も若くして死ぬかもしれません。それは誰にも分からないし、いまこれを読んでるあなたも明日、いや1時間後に死ぬかもしれない。

それはどうやっても避けられないなら、どうしようか。

 

ありがたさを感じながら、自分に素直に生きることがやっぱり大切です。若くして死んで多くの人から悲しまれるけれど、まだその方がよいでしょう。

 

僕は当たり前が当たり前ではないと日頃から考えられるだけで充分、いやハナマル満点なんじゃないかと思っています。

 

多くのモノに感謝し、素直に生きていればそれは高い原則に準拠した生き方であって。それなら若く死んでもそれでいい、と強がってみる

 

残された方は悲しいなぁ

もう少し、いやあと10年も20年もずっと見ていたかったよ、ワガママだけど

 

当たり前に見ていた人が急に居なくなるのは、それも二度と見れないなんて、胸が苦しくなる悲しみです

 

いままで本当にありがとうございました

 

ご冥福をお祈りいたします