ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈156.儚いダンスに〉

"幼い子の笑顔を見ると悲しくなる。この子もいつか笑顔でなくなってしまう日が来てしまうのだろうと思ってしまう。"

 

今をときめく歌手さんが言っていた。これを読んだときは、何考えてんだこいつ、斜に構えちゃってかっこいいと思ってんのか。なんて不満で鼻を鳴らした。

 

 

 

今日はニッチな本屋に行った。親が見たらオタクな店だと判断して、また僕のことを不安に思う店かもしれない。でも仕方ない。面白いんだから。

SNSから火がついて書籍化されたマンガ。読んでいるのも本になってるし、読んでないのも本棚にぎっしり詰まっている。どれを買う、というのもなしに、題名と帯の売り文句が眼に映る。夢があるじゃあないか。見ているだけでウキウキする。店にいる時間は10分程度じゃないかしら。それで満足。

きっと楽しそうな顔を書いている作者の顔はどれも締め切りに追われてクマができているだろう。それでも2巻3巻と出しているのは楽しさがあるからなんだろうな。それを考えるだけでも胸が高鳴る。

 

大学生になり、遊び方がわからなかった末に見つけた唯一の遊びがこれだった。

去年頃から、羨望で眺めるようになった。僕には絵のセンスなんてない。だけど文章でならなにか楽しい時間をつくることができるかもしれない。

書きたいことを考え、出版されたことを妄想する。もしかするとあの人も読んでくれるかもしれない。なんか賞なんていただいちゃうかもしれない。それだけで小躍りしたくなる。でも少し経つと悲しくなる。

 

ホントに僕が書きたいことにはやっぱりあいつが出てくるから。4年前にこの世界からいなくなったあいつだから。もし出版まで辿り着けたら、喜んでくれるかな。想像の範疇を超えられない。あいつとは共有はできない。

 

嬉しいと同時に悲しくなる。とても親しい人がぽろっと言うことがある。私は理解できず、しどろもどろな返答しかできなかった。その意味がようやくわかったのかもしれない。

 

今は嬉しいけど、その行く末は不確定で悲しいことが必ず含まれている。なので心の底から楽しむことができない。

 

 

だけどもさ。考えてもみろよ。僕らの人生が予定通り進むこと、どれほど可能なのか。僕が小さい頃考えてた予定通りなら、僕は今頃プロテニスプレイヤーになって日本には居なかったはずだ。ところがどうだ。アフリカの研究のために厚い本を積みながら甘い紅茶を飲むようになった。お陰で想定の1.5倍は重くなってるさ!こんな奇妙奇天烈なことあるかい。

 

今、嬉しいのに、わからない未来を憂いて悲しむことあるかい!今、当てられたスポットライトに身を任せ、心の底から踊ることしかできないんだ。それが生きるってことなんだ。

 

この間あいつの命日だった。その頃に夢に出てきてくれた。なんでか知らないがあいつは夢の中のくせに汗かいて自分の葬式の準備をしていた。なにやってんだか。全力なのはよろしいことだが。

 

まだ鉄砲を担いでもないのに、今日の成果を考えてやっぱやめようなんていないだろう。残念ながら僕らは生きているんだから。儚いダンスに夢中になれずに君はどうするんだい?