ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈939.無垢〉

4月23日。

 

予定通り墓場に行った。先日、何年ぶりに中学時代の親友と電話したからだろうか。無性に悲しくなった。電話の親友も俺も墓場の親友もテニス部で頑張った仲だった。それぞれの人生を歩んで、久しぶりに会って酒を飲もうとかなるはずだった。なんで君だけ18歳で止まっちゃってんだろうな。

 

 

群馬生活も2-3週間経つだろうか。落ち着いてくると、関西に出る前までの記憶が戻ってくる。小学中学高校時代。

小学生の初恋の人は結婚して子どもを授かったそうだ。気の弱かったいじめられっ子も市役所で立派なお父さんとして働いている。電話の親友も大変だったけどもようやく仕事を得て社会人生活を送っているそう。

みんなだんだんと腰を据えて生きていくようになってきている。予定通りであれば、来年には僕もそれの仲間入りしているはずだ。それを期待できるだけありがたい。そう思えるのはそうでなくなってしまった親友があるからこそかもしれない。

亡くなったおかげでなんて言いたくないし思えないけども、6年も経つ、さすがにそろそろ受け止めてどう生きるのかをはっきり示さなければならない。そのための就活でもある。

 

 

このタイミングで実家に帰ってきたのは良かったのかもしれない。東京とか京都みたいな賑やかさはないけど、自分の生きる根源を探すのにはもってこいだ。教習所に行く途中には大学受験期に通っていた神社風のお寺もある。そこで眠る祖父母や親戚もいる。

よっぽどの事情がない限り、定期的に実家に帰ると良いのかもしれない。

純粋無垢なころの想いを思い出すには、やっぱり場所の記憶が1番だ。innocent worldをちょうど聞いていた。思い出の場所というほどでもないが、記憶の破片をぽろぽろと集めるようなそんな日々である。

 

 

20代のまだギリ前半の僕は、一応自己のアイデンティティの確立期ではあるらしい。社会的身分も曖昧で何かに属していない僕はまだその時期なんだろう。

せめてあいつがいたら電話でもして、あるいは飲み屋にでも行って話を聞いてくれただろうか。そんなことせずとも、その世界線であれば僕はもう社会人だったかもしれない。ifの話をしても仕方ないけど、墓場に行くとその話ばかりしてしまう。

 

どうなろうとも僕のアイデンティティに地元はあるし、一部として親友たちがいる。しばらくはここを拠点に生活をするし、またしばらくアイデンティティの確立を手伝ってもらう。

まだまだ大人になれないね。