ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈161.プロとアマ〉

男子テニス世界一のジョコビッチ

彼がまだ世界一ではなかった頃にテニス雑誌で特集が組まれ、生い立ちが載せられていた。

その中に脳から剥がれない一文がある。

 

"彼は子供時代、テニスは仕事だと言っていた。"

 

 

 

好きこそ物の上手なれ、という言葉。好きなものこそ熱中して上達するよね、という意味なのはご存知だろう。もちろん僕もこれを信じているし、楽しいことをして生きたいなあと思う。

 

なのだが。楽しいことは趣味でとどめたほうがすべてに対して良いことだ、という話をよく聞くのだ。楽しいことで食っていこうとしたら、タスクになるし、責任なく中途半端に仕上げたら相手に迷惑がかかる。だからホントに楽しいことは趣味でおさめ、誰にも迷惑をかけるべきではない、というのだ。

 

プロ意識というのはそういうことなのだろうか。私が楽しいから、ではなく、だれかが求めているから。これで行動を起こすことなのだろうか。つまり、自分発のベクトルではなく、相手発のベクトルで自分をすり寄せることなんだと。

 

好きなことと得意なことは違う。同時に嫌いなことと不得意なことは違う。嫌いだけど得意なこと、それは仕事として食っていけるが、好きだけど不得意なことは仕事ではない。

 

得意か不得意かは、結果で決まるのだ。つまり、自分ではない他者が決める。それに対し、好き嫌いは完全に自分の支配下にある。これを倒錯しては世間に迷惑をかける。ということだ。

 

ジョコビッチは子供の頃からテニスが好きではなかったのだろうか。

いや、好きとか嫌いとかではなく、得意だと他者も自己も認知していた。だから好き嫌いの波があっても"仕事"としてテニスの道を歩んだのだろう。その結果の向かう所敵なしの世界なのだろう。

 

だから他者分析っていうのを必要とするのだろう。自己分析ではどうしても感情が有利になるからね。嫌いなことでもまわりが求めていればいつのまにか好きになってたりするでしょ。

 

僕にとってのライティング行為っていうのはただの趣味なんだろう。僕が好きなだけ。いつか得意ですね、ってなったときに、違う世界が見えるのだろう。ただ、僕はその世界を見るべきなのだろうか。わからない。