今日は酒を飲んだ。先輩が誘ってくれた。その人と会うのはどれくらいぶりだろう。とにかく久々だった。だからその間にあったこと、これから起こりそうなこと。なんでも話していたらいつのまにか4時間経ってしまった。ものすごく楽しかった。
4時間も呑んでいるとさすがに酔うわけで、大して深く思考せずに言葉がぽろぽろと出てくる。そしてそのテーマというのが、生と死だった。
その先輩も人生論を話したり読んだり聞いたりするのが好きな人で、おそらく先輩もなんも気にせずに話をしてくれた。幸せだ。
その中で
"三年後死ぬことになったらどうするか"
"なにがなされたら死んでもいいか"
"いつ死ぬのか正確に診断できたら診断されたいか"
という話題があった。楽しい飲み屋で物騒だねぇ。
みんなはどうだろう。僕は酔った勢いで色々喋ったがあんまし覚えていない。発した言葉は覚えているけど、なんでそう思ったのかはよくわからない。
ただ、死という話題になるとTが現れる。(その22.親友T)
彼が生きてたらおそらく就職したころだ。彼は真面目で勤勉な奴だからいいところに就いたんじゃないかな。いや、計画性はないから慌てて決めたかもしれないな。そんな姿は見ることはないのだけども。
そして、彼はまだ俺の近くをうろうろしている。時々遠くにいくが、時々俺のまわりにやってくる。
…私が死んでもいいラインは、彼の死が無駄にならなかったと実感できた時なんじゃないかなぁ。そうじゃないとなんというか。
だから私は頑張らなくてはならない。彼の一種、エージェントとしての役割を勝手に担ってしまった気がするからだ。担ったといえば、祖父の遺志も受け取ってしまった気がする。生きている私が勝手に解釈しただけだけども。
私の生には、まわりの死がかなりのところキーポイントになっている。それには負の感情もあるのだが、死でしか生み出さない強さもある気がする。
楽観主義の先輩と呑むのはすごく不釣り合いですごく楽しい。あぁ。奴とも呑んでみたかったなぁ。