9月8日。ダカール。
これは啓蒙であり、同時に絶望であった。そして、至急覚悟を必要とする事態だ。想定していたものは相当にアマちゃんだったらしい。
私がセネガルにくるよりずっと早く到着していた先輩がいらっしゃる。彼はウォロフ語もフランス語も何一つ問題もなく扱えるプロだ。
そんな彼がいるなら、とりあえずはウォロフ語もフランス語もしゃべれない現状でも生きてはいけるだろうと安直に考えていた。
しかし、やはりこれでは成長は遅いし、なにより先輩の邪魔になる。つまりしばらくは、後ろ盾なしの丸裸でセネガルに挑もうということになった。
すると、当然今まで以上に緻密な金の計算も必要だし、同時に3ヶ月のスケジューリングが肝になる。ホームステイ先を見つけなければ破産確定、論文に向けたツテを作らなければ卒業不可。
思ってたより重大な3ヶ月だ。
これでも、日本でならどうにかできそうだと考えられるが、セネガルだ。至急言語を獲得しなければ生きていけない。
飯にありつけないし、金もちょろまかされる。
言葉ができないと、死が近づくような気がする。
たった3ヶ月乗り越えればいいだけだ。クリスマスには日本でのんびりしているのだろう。それまでどうにかして生き延びて、言葉を習得すれば俺の勝ちだ。
一気に環境を見る目が変わって、同時に足払いされたように転げた気分だ。
研究者としてどうにかしなければ。
思っていたより事態は悪いらしい。
尻を叩け!いままでの逃避のツケだ!