雪女という話をご存知だろうか。
二人の男が山で吹雪に会う。そこで山小屋で休憩することになるが眠ってしまう。若い男が目を覚ますと、もう一人の男に息を吹きかける女がいる。男は死んでしまい、若い男も震え上がるが、女は若くてかわいいから、という理由で男を見逃す。そこで今日のことを話したら殺すと言われる。
数年後、若い男は縁があって女と結ばれ、子宝に恵まれ幸せになるが、ついうっかり口を滑らせてしまう。すると妻は、男は殺さず、子どもを面倒見るよういいつけ、影形もなく消えてしまう。
実はこの話、日本民話ではなく、小泉八雲(ラフカディオハーン)によって味気なかった怪談話を描き直されたものではないかと言われる。
つまり、逆輸入としての雪女の説があるわけだ。
おんなじように、のっぺらぼうの話があげられる。のっぺらぼうといえば、目も鼻も口もない顔の人が驚かせる話だ。
しかしながら、民話に出てくるもともとののっぺらぼうは、ただ顔がでかいだけなのだそうな。
怖いというか、ビックリなだけの話なんだね。
これが、ハーンによって、
「手で顔を撫でると、目と鼻と口がなくなるのっぺらぼう」ができたそうな。
今日はそういう話を勉強してきた。世界にはいろんなことを研究している人がいるもんだ。その学者さんが最後につけたした。
この話を通して考えられるのは、伝統とはどういうものなのか、ということだ。
もともとの形を守るのならば、ただ顔がでかいだけだったのっぺらぼう。それが外から伝統を見直すことで、今日でも生き残る、面白い怪談が出来た。
これを、伝統文化の崩壊だというならば、人文学者の立場からすれば、外を排除すること自体がむしろ文化の損失だと考える。
ということだった。
なるほどなぁ。
伝統っていうのと保守っていうのは結びつきやすいけど、伝統は発展してもいいものだし、そうするとやっぱり面白くなるんだな!
時代にあった形で残っていくのが大事なのかもしれない。
これこそ〈175.ブリコラージュ〉と言えることかもしれない。良いものは残して、もっと面白いものは他からもってきて。つぎはぎだけど、できたらやっぱりすごくいいもの。
なるほど。知ることは面白いな。
だいちもいろいろ見て聞いてきてくれい!それをぜひとも教えてほしい。
でも空港で生活をすることになってもあたいは知らないヨ。