〈334.曖昧なタイプ〉
私は苦労人が大好きだ。
運がない、自分ではどうしようもない、辛い、逃げたい、苦しい。それでも仕方なし向き合って、考え抜いて、どっこい生きている。
そして僕は、しつこい奴が好きだ。
忘れたことにぶり返してくるような。何年も何年もおんなじことを考え続けるような、諦めの悪い、場合によっちゃあ青いだなんて言われるような。
それなのに明るく振る舞い、もはや自分が暗いことすら忘れるようで、そんでもって時折ダークな一面が見える。そんな人が好きで好きでたまらない。
苦労人はよーく人を見るようになり、よーく考えるようになる。
しつこい奴は昔のことをよーく覚えていて、突破することをよーく考えている。
明るく振る舞う奴は社会をよーく分析して、それでいて自分のことをよーく知っている。
よく見て、よく考える。そういう人が好きだ。
見ない人は自分しか見えてない。考えない人は行動に責任がない。そのタイプも魅力的な場合もあるんだけど、たまにでいいかな。
小学生の頃のいやーな思い出を、そっと酒の肴にして、ケタケタと笑う。そういう人はなんと強いだろうかと思う。
そしてそういう人は大抵ぼやかす。曖昧なままにして、それがいいということにして、明言しない。これはその人の弱さでありながら、チャーミングなところでもある。
苦労していて、しつこくって、ぼんやり明るい。そういう人は永遠に付き合っていきたい。
というか。
僕自身がそうなりたいだけなんだろうけども。
理想を肯定することで、それを理想に掲げる私も肯定されるような。そんな弱い私のエゴイズムなのです。
仕方ないさ。人間だもの。エゴイストみたいなもんよ。