〈335.毎日書くの意味あるかしら〉
毎日毎日。
こんな文章を書いて意味があるんだろうか。もう一人の私はよく問いかけてくる。私はそれに答えを示さないまま、とりあえず書いてみることにする、というのをやってきてまもなく一年になる。
そりゃあ、うまい文章書けるようになりたい。うまい文章を書けるようになったら、どうしても書きたい話もある。これを書かずして死ぬことはできない。だから微々たるものでも積み上げればいつかたどり着くと信じて、意味のないような文章を書いてみている。
じゃあ11ヶ月、休まず書いてみて、どれ程上手くなったかしら。
目に見える成果なんてこれっぽっちもない。果たして文章が上手くなるとはなんなのか。いや、そもそも文章が上手くなったところでなにになるのよ。
だましだまし続けるなんかより、ちゃんと向き合って、全力で書けるものを書けるときに書いた方がいいじゃないか。毎日惰性で書くよりいいんじゃないか。そりゃあそうかもしれないけども。
僕が仕方なしでも書いているのは、今までの自分と決別したいなぁとやんわりと、それほど決意もないんだけども。いままでの自分を報いてあげて、自分を信じてあげたい。そういう感情もちょっと、いや、だいぶあったりするのです。
毎日問題解くから!
いったい何回赤ペン先生に解答を送ったことだろう。
毎日走って、筋トレして!目指せ日本一!
いったい何日続いたろう。
毎日新聞読んで!これからは自分が資本だ!
いったい何日図書館に通ったろう。
自分は自分を騙したし、それ毎に言い訳をして正当化して、またいつもの"惰性"の僕になって。
そのうち自分という存在に的確な表現ができなくなるし、自己肯定感なんてどっかいっちゃった。それも全部自分のせいだもん。存在価値なんてないよ、わたしには。
と、なる前に、もう一回だけ自分を信じてあげたい。いや、これも何回言ってきただろう。
それだとしても、自分を信じたい。努力というほど偉いもんでもないけども、毎日小さいことを積み重ねる私、という存在を認識したい。
という、ちっちゃいどうしようもない欲望が眠気眼をこする勇気を生み出してるんじゃないかと思う。最初からそんなこと思ってないんだけども。
そんなかで、それなら何か極小の楽しさだったとしても世の中に出せたら、それで喜ぶ人がいたらこれほど嬉しいこともないよ、と思ってやってみてるんだね。
もちろん、文章はうまくなりたいさ。おもしろいものを書いてみたいさ。
小さい蝶の、いや蛾の羽ばたきであってもいつかは竜巻を起こせるかもしれないよ。毎日羽を動かしてみれば。
とまあまた惰性を積み重ねるのです。