11月3日。
何度もいうが、セネガルの休日は暇なのだ。
そしてもともと僕自身それほどアウトドア派ではないので、当然引きこもることになる。
暇で仕方ないので、本来やんなきゃいけなかった研究書を読むことにした。
それがハナクソたちを繋げることになった。
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案の定面白くなかった。面白くなくてもとりあえず最後まで目を通せ。そういう教えを受けたことがある。そのため仕方なしパラパラとめくり遊びをしてた。
おや。なんだこの章は。セネガルの歴史の中で裕福になった現地人についての文章。経済が〜とか、〇〇教は〜ではなく、昔話みたいだ。
読んでみると、なかなか難しい歴史を抱えていることがわかった。
これはなんともおもしろそうじゃないの。
研究してみてもいいかもしれんな。
ここにきて、ようやく仕方なしやってもいいかと思える題材に出会った。
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この題材を見つけるにはながーい年月がかかった。
大学院入学直後にやりたいことを見失ったので半年はかかった。
学部時代からやりたくないことを題材にしてしまったので、そこから考えれば5年だ。
研究というより、勉強というところから考えれば、大学入試を真面目に考え始めた高校2年からだ。そのころならなにが勉強したいかよくわかってなかった。じゃあ7年だ。
だからといって、この7年くらい全部無駄ではない。深良い話になりそうだ。
学部選択でとりあえず国際系の勉強ができるとこを選んだこと、ノリで歴史研究ゼミに所属したこと、そしてとりあえずセネガルを選んだこと。
国際、歴史、セネガル。こういうキーワードをこれまでたくさんつくってきて、それが今日たまたま繋がった。
すべてが点として描かれ続けて、たまたま本を取り、めくり遊びを導き、そして目に止まる研究を見た。線として浮かび上がってきたわけよ。
一つ一つの点を見てみるとしょーもないハナクソみたいなものもあるけれど、そのハナクソがなかったら綺麗な線は出てこなかった。
7年かけて積み上げてきたハナクソたちが、いまや綺麗な絵を描こうとしてる。なんとも素敵な光景じゃないか。
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時間はかかるもんなんだ。
先生が言っていた"足掻く"という行為は、この汚ねえハナクソをほじくりまくって貯めていることを指していたんだろう。
そりゃあハナクソをほじくる行為はみっともないし、かっこ良くはないさ。
それが必要悪だったんだ。それが今日の認識で僕にとって悪ではなくなったんだ。
必要な機能だったんだ。ハナクソと同じだ。
でも多分、これで足掻き終わったわけじゃあないんだろうな。また足掻き始めて、ハナクソを貯めるんだろう。
より大きくて醜いハナクソは必要になる。
そしていつかハナクソは綺麗な絵を描くことになるだろう。なってくれ。なれよ。