12月13日。
かなり前の話。そしてオチのない話。
大学院2年生のころ、学部時代のゼミの先生に会いにいった。研究が行き詰まったり、将来が不安になったりで、道を示してくれる人と会いたかったのだ。
ひさしぶりに会って、相談するというわけでもなくなんとなく話をしていると、先生がしみじみと僕の卒論の話をしてくれた。
「研究としては色々不十分なところもあったけど、十文字の論文を参考にして書いたような論文を今の4年生が書いてるよ。」
意味がよくわからなかったけど、解散した後よく噛んでみたらすごく嬉しいことだとわかった。
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僕の学士論文は、アフリカのケニアの田舎の学校の現状についての報告書であった。論文というには稚拙な考察しかできていないし、先行研究や背景の追及も全くできてない。
見てきたことをレポートし、問題の原因だと思われる独立後の歴史をちょろりとさらったようなものだ。
いまは恥ずかしくて見せたくないものだが、同じゼミの後輩には自由に見られてしまう。先輩の失敗は反面教師にしようということか。
恥ずかしいったらありゃしない。
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しかし、僕の学部でフィールドワークをする人は少なく、大半が先行研究をまとめた内容であり、よくて分母の少ない偏りのあるアンケート調査である。僕のフィールドワークも研究と言っていいものかはわからないけども、確かに研究を始めるときに参考になるような先輩の論文はなかったので苦労した記憶がある。
そしてゼミの後輩もフィールドワークをしたということだ。アフリカではなくアジア圏のフィールドワークだったらしいが、論文の章立てが僕の論文に似ていたらしい。
ここまで思い出してみて、ようやくわかった。
僕が稚拙ながらも苦しんで産んだ論文が、一個下二個下の後輩の助けになったということだ。
僕の苦しみを後輩は味わうことなく自分の研究に集中できたということだ。
これはとても誇らしいことであった。
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これで論文の内容も100点であれば、文句なしの満点だったのだけども。
それでも、顔の知らない後輩の助けになるのはこの上ない喜びである。
僕が目的としないところで、誰かの助けになっていた。こんなに嬉しいことはない。
僕が直接的に教育をする立場を目指すことをやめたのはこの経験がデカかったのかもしれない。
目に見えて誰かのために頑張らなくても、必ずどこかで誰かの助けになるのが現代社会の仕事であろう。
それなら自分の好きな分野で仕事を探そうということになった。
そんな気がするね。わからんけども。