12月2日。
セネガルも残すところ4日だ。90日くらい滞在して思うのは、結局助けてくれる人がいなけりゃなにもできないってことだ。
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到着した時、早速入国審査のところで詰まった。なにがなんだかわからない。英語ができない審査官だった。詰んだ。その時に日本人でゲストハウスを経営している人に電話して助けてもらった。もうそこから始まっていた。
ウォロフ語を教えてもらうのも、フランス語を教えてもらうのも、もちろん教えてくれる人がいたからだ。
そして最後の最後に、怒涛の研究テーマ決定、人脈確保、次回渡航時のツテの確保。報告書に書けるまともなことも、友達の友達みたいな人たちばかり。
僕だけじゃあなんにも進まなかっただろうナ。
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友達は多ければ多いほどいい。とはどういうことだろう。
友達の定義にもよるけど、親友は多くすることができないだろう。絶対的に時間がないもの。時間を割いて、時間を割きたくなるのが親友だろう。
となると、会えれば会いたいけど無理はしない、くらいの友人は、血のない話をすればちょうど使い勝手が良いのかもしれない。時間を割きすぎず、といはいえ助け合う。
こういう言い方もできる。"Give and Take"
「俺がやったからあいつも俺にやるべきだ」ではない、「あいつが俺にやってきたから俺もやらなきゃな」
それがちょうど良い"Give and Take"と言えると思った。
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冷たい言い方をすれば、利用し利用される関係だといえる。でも、そこに信頼があって、"無意識下に"与え与えられる関係であれば、類義であれ、友人だといえるだろう。
モノは言いようってこととも違うと思うんだけども。
持つべきはものは友。ってことでいいんじゃないですかね。