〈451.T〉
12月23日。
群馬。
いつもより早い時間に墓参りすることにした。
日は傾き、冷たい風が肌を刺す。マフラーもマスクもないと、顔が痛くなる。自転車だとなおさらだ。
部活帰りの中学生が帰る時間。僕が自転車をチンタラ走らせていると、楽しそうに通り過ぎていく3人の自転車。
卒業してからもう8年経とうとしているのか。
。
墓場。
いつもは人目がなくなった暗い時間に墓参りしていたからだろうか。隣が保育園だったことに初めて気づく。賑やかに遊ぶ甲高い声。親の迎えを待つ幼い顔。
"〇〇ちゃん!明日ね!明日はおにごっこね!またね!"
またね。
友の墓の前では聞きたくなかった。
。
友の死は、その事実だけでも苦しい。
ただ、彼の死を通して、僕は僕のことをより一層嫌いになった。
仲良くなればなるほど、僕は感謝を伝えなくなる。「恥ずかしい、カッコつけたい。」
1番の親友だった彼に対して、そのクソみたいな性格が一番表に出てしまった。
彼との最後の別れは塾の自習室だった。
"お互い、頑張ろうね!良い報告できるようにね!"
"お前がダメでも俺だけでも受かるけどな。"
冗談だけども。心からそんなこと思ってるわけないけど。彼に甘えていたんだ。
。
もし5年前に戻れるのなら。僕は俺の頭をぶん殴るだろう。そして彼の前に行って、一緒に頭を下げて、ちゃんとお礼を言いたい。
こんな俺に付き合ってくれててありがとう。
。
それができないから俺は永遠に苦しむだろう。後悔するだろう。
"大切な人にはちゃんと感謝を伝えましょう"
そういうスピーチを大学の英語研究会で作った。
彼の死をなにか繋げる手段として、同じ後悔をしないよう伝えることだと信じた。
結果として。今、仲良くしてくれてる人もちゃんと大事にしよう。そう考えるようにもなれた。ようやく一歩成長した。
だが。ほかには何にもならなかった。むしろ、考えれば考えるほど、知れば知るほど後悔は増すばかりだ。
。
それでも、やっぱり彼のことはなにかの形で表現したい。しなくちゃいけない。
こんな感情だったと、彼に伝える手段はないけども、そうでもしないと彼の優しさに応えられない。
こんなに優しい奴が世の中にはいたんだぞ。優しくて不器用で頑張ってた奴がいたんだぞ。
それにはまだまだ知らないことばかりだ。
。
だからどうした。そんなの俺のエゴじゃないか。
そうとも思う。彼の死をダシにしてなにか企んでるんじゃないか。そういう疑念がある。
自分は信用しないほうがいい。
ならばその疑念さえも信用せず、何にも信用せず、思ったんだからしょうがない、そう思って表現してやろうとも思う。
。
なにを持って彼を表現できるのか、はたして彼の死と向き合えるのか、俺がなにをしたいのか、5年経ってもわからないことが多すぎる。
とりあえず文章は上手くなっておきたい。そう思って毎日書いてみてるわけです。始めてから450日が経過しているわけです。まだまだ向き合えるだけの力はない。
次の墓参りでもおんなじように向き合えそうで向き合えない時間が続いているんだろうか。
手が冷たい。息の白さが目立ってきた。
そんじゃ、そろそろ行こうかな。
またね。