ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1143.良い墓参りの日〉

11月13日。

 

今日は良い墓参りの日だった。
免許を取ってから初めての訪問だったのかもしれない。実に半年ぶりだろう。
この半年で就職先が決まったり、やりたいことがある程度形になったりして、ようやく落ち着いて生活を送れるようになったりした。半年前とは違って落ち着いて墓前に座ることができた。

墓前で話をしていると、ふとこれは一人語りなんだと気づく。
そうか、君と話をしているつもりだったけど、自分自身を落ち着かせるための話だったようだね。

 

 

お墓ができて直後は特にそうだったろう。
あの時はああだったね、この時はそんなことを言って悪かったね、と振り返って話をしていたけど、それはどうしたって自分の話でしかない。土の下の人との思い出をきちんと思い出して形にしておきたいという思いから出た言葉である。

それからしばらく経って、僕の場合は後悔が出てきたり、悲しみに押しつぶされそうになった時にも話をした。それだって結局は一人語りである。正当化したかったのかもしれないし、理解してもらえなくても僕が考えていることを認識してほしいという願いだったのだろう。自分だけでは抱え込めなくなったから、聞いてほしかったのだろう。

そうして落ち着いた今は、結局は自分のための自分語りの場としての友人の墓前を使っていたと知ることになる。「報告」と称して、自分の努力を認知してほしかっただけだし、苦しみを知ってほしかっただけだった。生前もそうだし、没後も僕のわがままに付き合ってもらって申し訳ないね。

 

 

あくまで僕のタイミングで訪問して、僕のタイミングで帰路につく。墓参りなんて最初から最後まで、自分のわがままに付き合ってもらっている。
亡くした人への言葉であるようで、実は僕のための言葉であったようだ。

 

でも、僕はその時間が好きだ。相手のための言葉であるようで自分のための言葉が好きだ。
真っ暗な墓場でひとりごつ空間が好きだ。
それをどこからか見てくれているような感覚が好きだ。

わがままに付き合わせてしまった後悔で苦しんでいたくせに、それを話していることもわがままだった。
君と僕とはそういう関係であるようだ。申し訳ないが、これからもわがままに付き合ってもらうよ。ごめんよ。