「受験日」というのに僕はいい思い出がない。
単純に合格よりも不合格のが経験してるのでな。
しかしだ。この2月末の受験日というのは単純に不合格で悲しいわけじゃない。別の記憶が紐づけられてキツイ。
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先日、大学院の先輩の勧めで映画を見てきた。
震災で家族を失った人が監督したドキュメンタリー映画だ。
そのなかでとりあげられる言葉がある。
「震災があったおかげであなたに出会えた。」
映画の中だとそれを良しとする人もいれば、そう思えないと言う人もいる。
なかなか壮絶な話だった。
僕は幸いなことに天災に巻き込まれたことはない。しかし、友を失った経験がある。
"彼が死んだおかげであなたに出会えた。"
そんなこと言えるわけないだろう?
そんな強くなれないよ。
そういうふうに前なんか向けるわけなかろう。
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「タイムマシンがあったらどうしたい?」
僕はそれほど後悔はない人生を送っているぞ。
しかしだな。もし変えられるなら5年前に戻りたいかもしれないな。彼を無理やり病院に連れて行くだろう。
いや。しかしだ。その世界を迎えたとしよう。
僕が苦しんだこの5年はどこにいくんだ?
一体誰が報いてくれるんだ?それともなんだ無に還すのか?
結局また主語が俺になってるじゃないか。
これじゃあ5年前となんも変わってないよ。
まだダメな僕じゃあないか。
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心理学者の作家さんのセミナーがあった。
ベストセラー作家なら目覚めるような慰めの言葉がもらえるかしら。
"友人が亡くなって5年経ちます。いまでも悲しいです。どうしたらいいですか。"
「それは仕方のないことです。悲しいのならちゃんと泣いてしまっていいですよ。それでもいつか忘れる日が来るでしょう。それをあなたはダメなことだと思うかもしれません。でも認めてあげましょう。そういうものです。しかしね、もし天からその友人があなたを見た時に、喜んでくれるような生き方をしましょう。強く生きてください。」
あぁ。そうですかい。
学者様でも有り体なこというんですな。
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もしも5年前に戻れるなら。
僕はちゃんと彼を病院に連れて行くだろうか。
タイムマシンができるころには僕は強くなれるだろうか。
或いは。ダメな僕のままでいいんでしょうか。
「ようやく一緒に酒が飲めたな。」
そう言える日が僕には来るんだろうか。
結局今年も群馬に帰る勇気はないままだ。
どうせまたコッソリ夜中に顔を見せに行くんだ。
そんな僕を見て君はどんな顔するだろうな。
まだ喜んじゃくれねぇやな。