「なにゆえもがきいきるのか」は今日は休みにしましょうね。
友人と飲んで色々考えるべき材料をもらったこと、コメントをもらって考えるべき点ができたことを合わせると、時間が必要だ。
酔っ払った頭で文字化するにはもったいない内容だ。覚めたときに残ったものを丁寧に文字化していこう。
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今日飲んだ友人は地元が近い奴だ。中学高校時代にテニスを通して知り合いになり、大学受験で同じ志望校だったので仲良くなった。
まあ、彼はちゃんと合格して僕は落ちたんだけどね。いまでも仲良くしてくれる変な人だ。
たまたま。彼は先日の自己肯定感についてを読もうとしてくれたらしい。ただ、仕事の疲れで寝落ちしたらしいが。
単純に興味を持ってくれたことが何よりも嬉しい。そしてそれを酔ったからかは知らないが、直接伝えてくれたのは何よりも嬉しい。
そういうふとした一言が今後何年も覚えているようなことはあるだろうな。
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彼が自己肯定感についての文を読もうとしてくれたのは、やっぱり会社がなかなか大変だかららしい。僕と同い年、同学年なので社会人一年目なので荒波に揉まれているとのこと。そこでやっぱり肯定感は大きな問題らしい。
このホウチガだと、おそらく僕が考えていることをできる限りの努力をしつつも結局は僕の思考を文字化した結果を晒すに過ぎない。だからこそ、こうやって意見をくれるのは何よりもありがたい。
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いまでも名前が残る哲学家は市民との会話の中で生きることについて考えを鍛えていった。そして同時に市民と一緒に考えていった。
実に羨ましい。ホウチガはそれをするにはもってこいの場所だ。コメントをしていただけたら絶対反応するし、一緒に考えていく上でのベースになる。ぜひともご意見をいただきたいところだ。
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ただ、僕は哲学家ではない。研究者として専門に生きることを考える人でもなければ、仕事で幸せについて考えるような人でもない。ただの凡人に過ぎない。
いや、あえて勇気を持って文字にする。
だからこそ、凡人が一緒に考えていく場として、あるいは考える材料として「なにゆえもがきいきるのか」は利用できるんじゃないかとも思う。
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だからこそ、いままでの投稿以上にコメントをいただきたい。そしてそれをみんなで考えてみたい。
幸せってなにか。生きるってどういうことか。みんなで考えてみたい。できればみんなで幸せになりたい。