iambe君がなにゆえもがきいきるのか(2)で残してくれたコメント。
それの返事を書いていたんだけど、どうも整理できていない的外れな文章になってしまった。これで書くのは三度目になる。今回はまともな文章になっていうことを祈る。
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彼のコメントは非常に大事なポイントだ。
僕が示したクリアすべき課題を、仮に全てクリアしたら幸せになる法則が見つかると考えているのか。そういう疑問をぶつけてくれた。
そして彼は考えている。
幸せは刹那的であり、定常的ではない。と。
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ここで思った。
あえて議論を深めるために僕は立場をちゃんと明確にしていくべきだった。
クリアすべき課題を5つほど示したが、そのどれも「〇〇と幸せには関係性があるかもしれない」というものだった。
いや、そりゃ関係性はあるわ。だって〇〇であげたそのすべてが人間の生きることに関わるわけだし、生きることと幸せであることは関係があるんだから。
そこでだ。
「〇〇と幸せには関係性があるかもしれない」ではなく、
「〇〇を⬜︎⬜︎したら幸せになる」そう言うことにした。
そうしないと「議論」は進まないもの。
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そのうえでiambe君のコメントを振り返りますと、
僕は示した課題をクリアしたら幸せになる法則があるんだ!と主張したいわけじゃなくて、
①「幸せになる法則がある」という前提で課題をとりあげ、
②そのひとつひとつで僕の立場を明確にして、
③主張し、批判をもらい、
④ひとつひとつの課題の成否を確認し、
⑤ほかの課題の発見をし、
⑥すべての課題の成否を見届けたうえで、
⑦幸せになる法則の有無を確認する
という流れで考えていこうと思う。
僕は、世の中の無限にある現象ひとつひとつについて、幸せについての定義あるいは幸と不幸の境界を知りたい。
昔のハラミキの指摘でいえば、「十文字はすべての事柄に対して白黒つけたいと考えている」のかもしれない。
そもそもここに問題があるだろう!という人がいらっしゃるのも承知している。
そこにとりあえず目を瞑ってもらって、一つ一つの課題について成否を確認し、最終的に幸せの定義を考える、ということにしてもらえればありがたい。
iambe君がいうとおり、なにか僕は幸せについての理想がある、大指針があるのかもしれない。
僕はあえてそれを恐れながらも文字化していこうと思う。そしてそれを大いに批判してほしい。様々な意見が欲しい。そしてその理想とか大指針という妄言を打ち壊して欲しい。
そういう議論の進め方にしようと思う。
ただ、これはかなり労力が必要な議論なので「なにゆえもがきいきるのか」は毎日じゃなくて不定期発生の場にします。
そうして何年何十年後かに「なにゆえもがきいきるのか」の答えがあるんじゃないかと信じています。
まずは、仕事と幸せの関係について議論をしていこうと思う。
立場はまたそのときに書きましょう。