自己分析の時間です。
お題は写真。
僕は写真に写るのが嫌いなのです。これをテーマに考えていきましょう。
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まず写真に撮られるのが嫌な場面。
集合写真は嫌いじゃありません。みんなとの思い出だからね。いいと思う。むしろそれは撮りたい。
誰かと一緒に撮る。ここから怪しくなる。仲良い奴とインカメで撮る時、僕は笑顔の時、無表情の時、即座に変顔をする時の3つがある。
笑顔の時、これは最大限心を許してない時にする表情。笑顔で写真を撮ることは「普通」だから。普通であれば話題にのぼることはない。スルーされる写真として終わるから。僕の存在はないに等しくなる。
無表情の時。これはやや心を開いているでしょう。変顔で話題になるのは避けておきたい。でも、笑顔で写ることに若干抵抗感がある間柄。波を荒げることなく無かったことにするために無表情になる。
変顔の時。心を僕は開いているでしょう。カッコつけてみられ方を気にすることもないし、笑顔で無難に終わらせるつもりもない。やっぱり笑顔にはならない。
まとめますと、現状の僕が笑顔で写真に写っていたら無難に終わらせたいと思っている時であり、顔がおかしくなればなるほど大事に思っている人だと考えております。
できれば全ての写真変顔で写っておきたいけど、変顔で話題になるとめんどいなと思った時笑顔になるのです。
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さて、なんで笑顔で写るのが嫌なんでしょう。
理由は単純明快。自分の笑顔を自分で見るのが嫌だからです。
いや。笑顔というか、顔を見るのが嫌だからかな。好きじゃない。
かといって、自分が嫌いかといえばそうではないです。鏡がないところなら僕は僕が好きです。容姿が映らなければ。つまり外が嫌いで中は好き、という感じでしょう。
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外面のなにが嫌いか。
恥ずかしながら、ブスかイケメンかでいえば、赤点は取らないけど平均点には届くか届かないかくらいだと思います。
しかし、嫌いなところは肉であります。
僕についている肉は僕の悪の象徴だからです。
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まずどうやって肉がついたか。
怠惰な生活から。食生活、運動。ここが崩れた。いつから?中学生から。部活をやっていたことを理由に脂も糖分も好き放題わがままやらせてもらった。戦闘に必要ないものもガンガン。その結果、まず肉が覆い出した。
そしてどうやって維持されたか。
非自律的性格から。何度も何度もダイエットだとか筋肉マンだとか言い続けても、案の定豚畜生なわけです。こんな自分嫌だと思って走っても、翌朝にはそーんなことどっかいってラーメンを食いに行く。しまいには肉を使って自虐することで笑われて肉を正当化させる。嘘ついて、悪をよかったことにする。
だから僕にとって僕の体についている肉が、僕の愚の象徴なのです。
その愚を常に身に纏っているんだから根本的に自己肯定感があがらないのは仕方ないやな。
その結果、写真に映る僕の容姿は僕の愚を表していることになる。なので残したくない。笑っている自分なんて蹴り飛ばしたいくらい。
理想が高過ぎるのが良くないのかもしれないけど、これは生まれながらの性だから仕方ないとこれはあきらめておく。
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じゃあさ、細マッチョになれば僕は僕を100%愛する準備ができるんじゃないかしら?
この100%晴れることのない心のうちが晴れる時が来るかもしれない?
そしたら友のことももっと愛せるかもしれない。
自分のことを嫌いだと思うことにキャパシティを奪われず、相手を想って生きることができるんだから。
自分を愛することができれば、相手をもっと愛せるかもしれない。
幸せになるためにも、僕はマッチョにならなくちゃいけない。
明日の朝、僕はまたラーメンのことを考えてしまうかもしれない。
だとしても、信じなくちゃいけない。裏切られても、なんどでも信じなくちゃいけない。
信じることが生きることのはじまりであってすべてだとか聞いたことがあるからね。
がんばれよ。明日の俺よ。