ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈1049.選曲の軸〉

8月11日。

 

先日、友人と会った。車を使ったので車内で音楽を流そうということになった。

前も書いたかもしれないが、こういう時の選曲にいつも困る。

例えば、ワンオクを流せばとりあえず外れないというのがあるのかもしれない。しかしこれがワンオクの曲だ、というのはわからない。聞いたらフレーズは知ってる曲もあるだろうけど、曲名も分からなければ、人の名前もわからない。

つまり、カラオケでも難しいということだ。

 

 

嫌いじゃないのよ。カラオケでも音楽を聴くでも、むしろ好きな方だ。しかし流行に疎くて、歌詞がない曲の方が好きなので困る。

いまも聴いている曲はゲームの戦闘bgmかYMOである。

 

なんで歌詞があると好きになりにくいのか。

浸りにくくなるからである。

曲だけであれば、音の雰囲気とかスピード感で自分の世界を広げることができる。この曲はこういう時のこういう人たちの曲だろうとか、場所はここで、時間はいつ頃でなどなど。それが好きである。

しかし、歌詞があると登場人物とか時間とかも決定されており、入り込む余地がない。

つまり、物語を編みにくくなるので好きじゃないのかもしれない。

 

 

歌に物語を見出すというのも変な話かもしれないが、童謡なんかはそれかもしれない。

ぼんやりとした背景で感情表現もそんなにない。だから色々と解釈ができて楽しいもんだ。

 

ゾウさん鼻が長いのね、そうよお母さんも長いのよ。

 

どのタイミングでこの会話は生まれたのか。小さい子が動物園の象に向かって聴いているのか。サバンナの野生の動物同士の会話なのか。

これが好きなのよ。

 

夕暮れの池。フチに立つひとりぼっちの象に僕は聞いた。なんで鼻が長いの。涙浮かべて彼女は答えた、お母さんも長いのよ。

 

仮にこんな歌があったらもうつまんない。鼻の長さのコンプレックスなのか、亡き親の姿を池に映る自分の姿から想像したのか、そこらへんの歌になる。

何も楽しくない。曖昧だからこそ解釈の楽しさが広がるし、感情描写があまりないからこそ勝手に物語を作り出せる。

そういうこと。

 

 

YMOも平沢もそうだけど、歌詞だけ聞いてたら訳わかんなくて狂うようなもんだ。しかしながら、そこにメロディがあることで、たぶんこういう話なんだろうと勝手に想像する。

それが面白い。ゲームのbgmだってそうだ。ゲーム自体を知らなくても、たぶん戦闘曲で主人公が仲間と協力して勇敢に戦ってるんだろうとか、逆に追い込まれて絶望的な戦いかもしれないとか、のどかな村での生活だろうとか。

 

結局それが楽しいから歌詞のない、あるいは少ない歌を選ぶのだろう。

自分の話でごめんなさい。