〈487.書道の話〉
1月28日。
翌日の朝書こうと思ったら、翌日の昼過ぎに目覚めるんだから仕方ない。今日はちゃんと夜も書こう。サボったらとまらないから。
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学校の授業は楽しかったけど、これと言って記憶にないのが正直なところだ。
それでも雷に打たれたみたいな衝撃がある授業もあったわけで。
その最もが高校の書道だろう。
僕の高校は一年生だけ美術があり、音楽か書道の選択制だったと思う。それで僕は書道を選んだ。
それがまああたりかハズレか。先生が鬼だった。怒るとかでなく、いつも不機嫌そうにしていて、笑った顔を見たことがない。生徒も先生の顔色を伺う。唯一活発でない静かな授業だった。そりゃ書道だもんね、静かに書くもんだ。
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毎回見本を参考にして書くんだけども、一度だけ不思議なお題が出された。
"半紙を使えばなんでもいいので、自分が選んだ漢字を好きに表現しなさい。"
そんな鬼教師の目の前だ、ちょっと変なことをしないと逆に怒られそう。必死に考えたあげく、僕は漢字を忘れてはしまったけど、半紙に収まらないくらいデカく漢字を描いた記憶がある。漢字だと大きいとか広いとかそういう雰囲気のやつだったと思う。
"これは稚拙な表現だ。"
班代表で先生に見せた僕のでかい文字はそうやって一蹴された。
"なんだ君たち。そんな表現しかできないのか。面白くない。数年前はいろんなやつがいたのに。そういう時代なのかね。"
授業終了間際に先生が述べた感想がこれだった。我々のおそらく全員がムッとしたと思う。なかには書道を習ってたやつもいたし、芸術が得意だと言うやつもいたからね。
"例えばさ、君たちの先輩にはこういう人もいた。水を表現する時に半紙に水を数滴垂らす。すると半紙が吸ってじんわり広がる。傾けて垂らしてもいいだろう。それだけでも水の流動性みたいなものを表現できる。波紋のような美しさがある。そういう枠に囚われない表現、失ったんかね。"
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授業後僕はムッとしていた。なんだそりゃ、そんなん反則だべや。納得いかなかった。書いてないもん。
しかしだ。書道は書かなくちゃいけない、という定義を先生はしなかった。好きに表現しろと言っただけだ。
そのルールとか枠から隙間を見つけて表現することを知らない人生だった。
それに気づいたのは、高校一年のその授業から3、4年後、大学生になってからだ。
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自由ってのは難しいな。枠に収まっとけば楽だもん。
枠に収まるときは収まっていいと思うよ。それが誰かの迷惑を避ける方法ならば。
でも窮屈なんだべな。