2月19日。
人の世というのは生きているだけで苦しいとか考えている哲学者がいるらしいとな。
例えそうだったとしても、うんこと背比べして勝ったり負けたりしている俺でもどっこい生きてるんだから、大丈夫。みんなも元気に生きましょうね。
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うんこと拮抗している僕と飯を食べに行こうと言ってくれる優しい人たちが世の中にはいる。そんなひとたちと飯に行くと時折悩みを話してくれる人がいる。嬉しい。
悩みに大小も深浅もないと思いたい。その人はその人のキャパに適した悩みがある。そのキャパは発揮される分野とか場面によって、大きさが変わると思う。だから悩みは等しく深刻なんだ。
かつて僕のキャパを小さいと判断されたことが恨みがましいところだ。だから気をつけたいね。
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悩みを相談してくれたとはいえ。
根本的にわかり合うことは不可能だ。悩みが生まれるまでの過程をマクロな単位で再現し理解するのは無理ちゃん。それでも共感することはできる。そうやってにじり寄っていくことが仲間になることだと思っている。
でもそれは第五の匍匐前進にも似た慎重さの中で行わなくちゃいけない。
似たような悩みとは言え、その背後の物語を私は知らないんだから。勝手に自分を投影してそれにはこうしたらいい、なんていう特効薬でも用意してやろうなんていう横暴さは糞食らえだ。勝手にキャパ小さいなんて言うなバカチンがぁ。
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そんな横暴さと背中合わせなんだけども、僕は悩みを聞いたら応援せずにいられない。必要としてないかもしれないけど、どうにかその悩みを乗り越えて幸せになってほしいと思ってしまう。
やっぱ知っている人には笑っていて欲しいじゃない。そう思うと必要としてないかもしれないけどやけに質問してくるおじさんになってしまう。
だけど応援というのは危ないのだ。
すでに頑張ってるから悩んでいる人への共感を示さずに道を示そうとする横暴さを秘めている。それは相手を思っているという言い訳を使った自己満足だ。
だから答えを一緒に探したいけど、そのまま悩み続けていいと思うし、そうすべき。頑張ってるんだもん。むしろ休憩しろ。休め。飯食え風呂行けトイレ行け。
こんなうんこに押されつつある罪深い俺でも生きてるんだもん。あなたなら幸せに生きれるよ。
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悩みを打ち明ける時ってさ!
答えはもう自分でわかってるんだろう!
ちょっと背中を押して欲しいんだろう!
でも俺は背中を押さないよ。一緒にラーメン食べようや。そのまま休んじまえばいいと思うぞ。
がんばってんだもん。
楽しく生きようや。
うんこと一緒に流しちまえ。