ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

MENU

〈524.一筋縄じゃない〉

不思議なツイートがあった。

 

とある老人について。

この老人は自己犠牲的で非常に道徳的な経験をした。

そのニュースをリツイートし、こんなコメントをつけていた。

「すばらしい。この老人には長生きしてほしい。」

そのリプライにこんなものもあった。

「世の中こんなすばらしい人ばかりじゃないですね。ついこないだも老害が…」

 

なるほど?

 

 

僕の意見の前提としては、たとえ老害だと判断されるような人であっても早く死んでしまえなんて思ってはいけないと思う。というか、誰かの命をさっさと消えろと思うのは非常にさみしいとも思う。だがしかし、仮に大事な人を殺された、という場面ではそう思っていられないと思う。おそらく僕は復讐すると思う。

 

これは、あかの他人であれば命の良し悪しは決めちゃいけないと思うので。ところが被害者加害者関係が結ばれたら、まぁ無理なところもあるかも。

 

 

という前提のもと、さっきのツイートを見てみる。

まず1個目、この老人には長生きしてほしい。

悪くはないんだけど、「この」「には」という限定をしているね。なんで?

ほかの老人は別に早死にしても構わないってことかい?

いや、仮にそういう存在がいるとしよう。自己中心的で迷惑ばかりかけるような老人は早死にすべきだとしよう。

その老人が果たしてその存在ではないとどうやって判断できるんだろう?

 

情報は非常に少ない。自己犠牲的な行動をとり、それは道徳的な価値観から現れたこと。

一見、その老人の内部を表しているかのように受け止められるけども、それ以外は?もしかすると、その価値観を昔に植え付けられただけで、なんも考えずに鵜呑みをしているだけだとしたら?もしそうなら怪しい勧誘もしてくるかもしれないな?

 

ここまでにしよう。僕の考えすぎすぎかも知れない。こんな素敵なおばさんは長生きしてほしいなっていう、特に限定する意思はないかも。

 

 

じゃあ2個目。こんなすばらしい人ばかりじゃない、老害が…。

なんで?この人が老害じゃないという判断はどこで可能?そもそも自己犠牲ってすばらしいのか?

 

 

もうやめよう。重箱の隅をつつくようなうざったい感じになってきた。

そもそも早く死ぬべき死なないべきっていう判断はなかなかすべきもんじゃないぜ。

そういうあなたはそんな判断を下せる存在なのかしら?

 

基本迷惑かけて生きているんだもの。誰かに頼って生きているんだもの。仕方ないじゃん。お互い様よ。

みんな幸せに長生きしようねでええやん。