〈555.余計な心配〉
4月5日。
もうじき昼になるころ、ようやく僕は決心してインターホンに手をかけた。僕のじゃない部屋番号。そうしてぼくは自分の部屋に帰ることができた。
計4時間のアパート前待機。こちらから動くことでようやく道は開けた。
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4時間もやることもなしに立ち尽くしていると、余計なことを考えてしまう。
コロナ騒動でみんな部屋にいるけども、もし、もしも地震がおきたらどうすればいいんだろう。体育館への避難を余儀なくされたら間違いなく濃厚接触になる。丸一日マスクを外すことはできないだろうな。
コロナの不安に、さらに余震への不安。よりイライラするんだろう。Twitterはきっと荒れるだろう。体育館の中でもダンボールで区画を主張しあったり、咳をしたしないで怒られたり。
あぁ。そんなこと頼むから起きないでくれ。
無駄な時間を過ごしてしまった。
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部屋に戻ると電気はつけっぱなし。もったいないなぁと思って靴を脱ぐと、人の声が聞こえてくる。
部屋を中に置いたまま外に出たってことは、部屋の鍵も開けっぱなしだったことになる。つまり空き巣に入り放題な環境を作ってしまった。
これは。マズい。泥棒か…?
しかし、入らねば。
勢いよくドアを開けると、誰もいない。
そのかわりYouTubeからジェラードンのコントが流れていた。
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時間を持て余してるわけではないけども、まあ持て余している。そういうときには余計なことを考えてしまう。ifの話、過去の話。
「いま、ここ」を生きているんだから、そんなこと考えてもなにも変わらないよ!
いや、余計なことを考えている瞬間は「いま、ここ」で生きてはいないけど、余計なことを考えるからこそ「いま、ここ」の予測不可能性に対策がたてられるのか?
かもしれない。
とはいえ、「いまここ」を脅かす余計なことならしないほうがいいかもしれない。
なんとも言えない。
僕の家には地震対策のご飯はあるけど他には何もない。なにか用意しようかしら。
といいつつまた「海野くんとおともだち」を再生し始める。