小学生の頃。
地元のおじさんにテニスを教えてもらったことがある。
「素振りをして。」
僕は自慢のフォアを思い切り振った。
「ゆっくりやって。」
よくわからないけど、ゆっくり振ってみた。
「バックを振って。」
ブンと思い切り振った。
「ゆっくり振って。」
納得いかないが、ゆっくり振った。
「バックが苦手だよね。」
その通りだ。
「苦手なものはね、ごまかしちゃうんだ。だからゆっくり振ると不安になる。」
フォアから素振りをしたのもそのひとつだろう。バックが苦手なことを隠したかったからだ。
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なんでゆっくり振ると不安になるんだろう。
一つ一つの動きの正しさに自信がないからだ。変に考えはじめてしまう。
"打点はここだったろうか。"
"フォロースルーはどこに持っていけばいいのか。"
では、自信のあるフォアのほうはどうだ。ゆっくり振る時も考えるところがない。
"なんでこのひと、ゆっくり振らせるんだろう。"
そう思うくらいだ。つまり、意識がフォアに行ってない。気が散ってもできることが自信あることだ。
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自信あるから、と言っているうちは自信がないんだ。自信がないわけではないが、確証がないといったところだろう。
その確証を得るためには、想像に易いが成功を重ねるしかない。そこまでいければもう一つ頑張ればいいだけだ。大丈夫。
問題なのは、自信あります、と言える領域にどうやって達するかだ。
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こればっかりは成功とか言わずに回数を重ねるしかない。数がものを言う世界もある。これは「自信を持って」断言できる。
現役の頃はサーブが武器だった。
低身長のくせに高身長の奴より速いサーブを打てた。理由は単純明快。毎日150球は打っていたからだ。
賢い人は150球も打つ必要はないだろう。だって一球打つのに短くて5秒、普通に10秒はかかる。10秒かかるとして、150球打つのに25分はかかる計算になる。
僕は時間に余裕がある練習環境だったからこれが許されたし、なにも考えずにバコバコ30分打ちっぱなしをすることでアホな僕でも全国で戦えるサーブを手に入れた。特異な例だろう。
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しかし、数打ち続けることで、一種瞑想ともいえる世界に入り込む。
これが自信がある世界と仮定できると思う。目の前の一球一球に意識を向けずとも、並のボールを打つことができる。これは"「自信がある」と言う"、という領域だろう。
絶対的自信ではなく、そこそこな自信。
さらに自信を持つためには、その意識せずとも打てる領域になったときに、あえて意識を強く持って打つ。その集中力が無限に伸びた時に真の自信になるだろう。
僕はたどり着かなかった領域なので仮説だが。
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質を上げる、というのが最近の流れだと思う。量を求めるのは昭和で終わりだと。
確かに質を上げないことには成長は見込めないけど、量もないとそもそものメンタルが上手いこと回らないと思うのです。
そもそものメンタルが強けりゃ問題ないので、質と量を高めつつ、根本のメンタルも鍛えましょうね。
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戦闘力8日目
43(+3)
調べ物+1
練習+2
今日はよく寝てしまった。