毎晩の素振りが日課になった。
風呂入るのと同じくらいのハードルになった。行ったら楽しいのはわかるけど、行くまでぐだぐだする。でも結局行く。本当にめんどくさくて仕方ない時はたぶん行かない。
それくらいな存在になった。
素振りは嫌いだった。やっても何も意味がないと心の底から思っていた。そしてめんどくさかった。
筋トレも嫌いだ。やっても筋肉ついた試しがない。ぼくの筋肉はすべて実践の中で育まれた体だ。必要なものを必要なだけ取り揃えた無駄のない体。半分冗談だけど、半分本気だった。
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なんで素振りが毎日できるようになったんだ。
ひとつ、壁打ちができなくなったから。壁打ちができてしまえば、もやもやはスッキリする。そしてなにより実践に近い一人遊びだ。こんな効果的なものはないと信じている。実際の効果が出た試しがない。
ひとつ、引きこもり生活でテニスの動画をやたらみるようになった。プロテニスツアーもいまは実施できておらず、FacebookやTwitterでは連日、過去のスーパープレーを流し、はやくこんなプレーみたいよね!というような煽りが毎日目に入る。すると、ワンチャン俺もこれくらいのプレーならできそうだ。そう思った。
ひとつ、そのスーパープレーはできなかった。この前濃厚接触を避けつつ、ちょっとボールを打つ機会があった。そのとき、散々イメージし続けたスーパープレーさながらの激しさを生み出そうと必死だった。だが圧倒的に足りないものがわかってしまった。体幹とスピード。これを最速で手に入れるためには、素振りしつつ筋トレをすることである。
ひとつ、スーパープレーができなかったけど、過去の栄光を垣間見たことで自信を得たこと。昔は永遠にハードヒットすることができた。流石にいまは不可能だけど、数ポイントだけ現役当時と同じ、あるいはそれ以上のハードさを出すことができた。いわゆる「ゾーン」だ。これが気持ちよくて仕方ない。それを永遠のものにしたいから素振りをする動機付けができた。
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そしてなにより、23年間の悩みの末にちょろっと聞いた言葉が私に明かりを灯してくれた。
自己肯定を得るためには、デカい成功よりも毎日できることをするだけの積み重ねが一番キく。
「できることをする」
当然なんだけども、それが脳でわかっていても体でわかっていなかった。
僕がなんで夜中まで起きてしまうか。毎日やり残したことがあるので、寝るには気分が悪いけど、手をつけるほどやる気がない。その23年であった。
それが、時々やたら寝付きがいい、「漢眠顔」でベッドに入る日がある。それは「できることをした日」に違いない。
経験と経験とが、ようやく線として結びつけることができたのが「できることをする」ということだ。
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自分が生きてて良いと思うためには、自分にウソをつかないことなんだとようやく知った。
はたしてこの習慣がどれほど続けることができるかはわからない。しかし、「今できることをする」しかない。
凡人が強くなるためには最速で最短の道なんだ。
もちろん、ただ老けて大人になっただけかもしれないけども。
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戦闘力14日目
107(+10)
勉強+5
練習+5
こんな適当な数値だけど、若干やる気が出るのが不思議なところ。