5月23日。
こうみえて小学生までは地域のお坊ちゃんだった。小学6年間はピアノを習っており、学校行事の伴奏なんかしてた。
そのころ、学年100人くらいのうちピアノを弾けるのは3人くらいしかいなかった。だからドヤ顔で伴奏なんかしてたわけだ。
おそらく総合の時間とかだったろう。ストレスアンケートとかそういうのを10分くらい教室で答えた時間があった。しかし小学生なので、隣の人とあーだこーだいいながら適当に答えていたと思う。
そのときの質問がすごく難しかった。
「あなたの趣味はなんですか。」
これが全く答えられなかった。小学生が趣味という言葉を理解するわけがなかろう!
小学生の頃なんか、暇があればゲームして友達と遊んでしてた。だから趣味という趣味はわからない!ゲームと書くのか。いや、俺にとってゲームは趣味じゃない、生活の一部だ。とか。
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そうして悩んでいるうちに、友人の一人が言ってきた。
「十文字はピアノとテニスが趣味になるのか?」
これは一番嫌な言葉だった。
というのもだ。当時はピアノは一応大会で賞状取ることを目指していたし、テニスも当然県大会でどこまでいけるか、文字通り身を削って努力した。
趣味なんていうあまっちょろい世界じゃ戦ってない!
僕の努力がまったくもって認められなくなったような、そんな気分になった記憶が残っている。
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何故こんな話をするかといえば、俺にとってテニスがもはや趣味ではなくなったからだ。
趣味
1 仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしてしている事柄。「趣味は読書です」「趣味と実益を兼ねる」「多趣味」
2 どういうものに美しさやおもしろさを感じるかという、その人の感覚のあり方。好みの傾向。「趣味の悪い飾り付け」「少女趣味」
3 物事のもっている味わい。おもむき。情趣。
「さびた眺望 (ながめ) で、また一種の―が有る」〈二葉亭・浮雲〉
つまり、個人の楽しみとか好みの傾向なんていうのが、一般で言う趣味になるだろう。
かつて読んだ本だと、目的と手段が交錯したものとか言っていたものもあった。テニスなら勝つという目的ではなく、試合で打ち合うとかの勝つための手段が好きだ、というのが趣味。あるいは、道具を集めたり、試合を見に行ったりと、本来のスポーツの目的ではなくその手段が好きなこと。
これが趣味。
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今日の敗北は引退してからの試合の中で最も屈辱的だった。
大会ではなく、時々テニスをしてくれる人。接戦になれど、僕が負けることはまずなかった。ところが今日で3連続の敗北になった。
この前までの敗北は勝ちに徹底したわけではなかった。悔しかったけれど、言い訳の余地があった。しかし、今日は今日のためだけの準備もした。その上での敗北。
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僕にとって、高校で現役を引退してからは、テニスが趣味に落ちぶれていた。あわよくば勝てればいいな、まあ楽しいから良し。
しかし、もはやそう言ってられない。
一応大会で再び優勝することを目標にしてしまっている以上、今日の敗北はあまりにも耐えがたい。
勝利したいのだ。決勝で、意気込んだ相手に、エースを決めたいのだ。
しかし、今の俺では完全に実力不足だ。それを思い知らされた。
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もちろん、今の僕は23歳で昔みたいなあやふやなアイデンティティではなくなった。なので、「十文字はテニスが趣味なのか?」と言われたら「いやあ趣味にもならないくらいよ。」なんて大人な対応ができるはずだ。
ところがもはやテニスで勝つことが僕のアイデンティティになってしまった。
勝ちたい。勝利に飢えている。しかし、もはやプロフェショナルなんていう孤独の戦いの世界に赴く勇気もない!ならばアマチュアで天下を目指そうではないか!
ああ!なんと悔しいことだろう!
テニスが僕の血を駆けめぐっている!
僕が僕であり続けるためには、もはや勝たねばならないのだ!
たのしけりゃOKなんていう世界から脱してしまった!
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戦闘力44日目
371(+10)
勉強+5
運動+5
なかなかのハードなランニングだった。素振りをすると敗北の理由がわかる。そのわりちゃんと論文も読んだ。えらいぞ。