6月9日。
今日はゆるい話をしよう。
僕は言語学習が苦手だ。外国語といえば英語から始まり、フランス語、中国語、アフリカでスワヒリ語とウォロフ語。こいつらを学ぼうとした。
結果としては、英語は英語圏に行っても生活はできるくらい、フランス語とウォロフ語を併用してぎりセネガルで飯を注文できるくらい、あとはもう記憶の彼方である。
だってさ、言語勉強しても楽しかったことが少ないんだもの。
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中国語を勉強し始めた動機はとんでもなくピュアだ。中国文化が好きだったのと、好きなキャラクターが中国関連だったのが理由。将来を見据えてとか、好きな人が、とか。そういうのは一切ない。
学びはじめはそうよ。
それがいつの間にか。楽しくなくなってくる。成長してる実感もなければ話せるような実感もない。
なによりいざ話す場面になった時、言葉が出なくて悲しくなる。
これが挫折なんでしょうな。
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そう考えると、挫折を乗り越える屈強な目的やら人間性やらが必要なのと、一緒に助け合える仲間がいたらでかいんでしょうな。
建設的な同情はあるに越したことない。建設的じゃない傷の舐め合いは落ちるだけだけど、一緒に頑張るためのクッション材はあるといいと思う。
もちろん屈強な精神があれば、そんな甘ったるい関係はイラねぇかと思いやす。
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言語に限られないんだろう。
目標やら目的やらがちゃあんと明確になって、二人三脚から二十人二十一脚やらそういう関係を組めるチームがあれば、どんなものであれ乗り越えられるのよ。
だけども、チームになったらちゃんと共通の理解がないと転ぶだけだけど。
一種ゲームみたいなものだ。共通のルールの上で競争するみたいな。あえて非合理な方法を選ぶとするのも、それがゲーム性を楽しめるなら良い、みたいな。その非合理性をあえて共通で守るみたいな。その結果、非合理だったはずがとんでもなくバケモンになってくるみたいな。
そういうかんじよ。
みんなでやると楽しいね。
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戦闘力61日目
497(+4)
勉強+3
その他+1
今日は夢でセネガルにおりました。ウォロフ語を必死に喋ろうとして、相手になんとか伝わった時、すごく嬉しかった。夢なのに。この感覚忘れたくないなぁ。