ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈370.不思議な人〉

10月3日。

 

セネガルは80とか90%の人がムスリムらしい。それもその通りで街のどこにいても聞こえるコーランっぽい放送が時間になると聞こえてくる。町のあちこちにちっこい絨毯があってお祈りの場所にしているらしい。とはいえ厳しい国に比べたら緩いので顔を出している人がほとんどだし、ビールもスーパーには売ってる。

 

だけども、子供なら誰しもコーランは勉強させられるとか、モスクには行くとかで、ムスリムじゃないセネガル人はちょっと不思議に見られたり異端と思われたりもするらしい。

 

というのも、その"異端"にあたる人と仲良くなってホームステイ先までありつけた。

 

その異端の人、いやあんまり良い呼び方じゃないな、賢い人としよう。賢いその人はどの宗教も信じず、というか日本人的な価値観を持っている人だった。

 

宗教を信じて平和を願っても異宗教同士で鉄砲を持ち出すのはおかしいだろう。

もともとの素晴らしいどの宗教でも共通点は愛なのだ。僕が信じるのは、動物的みたいな自然に対する愛なのだ。その愛はもちろん環境も対象だし、そこから誕生する生命への敬意でもあるのだ。そして、もちろん僕自身を大切にすることが大事で、それは頭を良くすること、体を良くすること、心を良くすることが愛するということだ。

 

そういう価値観だった。

彼は32歳の不動産関係をお仕事でやってるけども、子供の頃は家族みんなで路上生活だったらしい。だからこそ、宗教がしっかり根付いている社会でそれを相対的に観れたのかもしれない。

 

セネガルでは珍しく英語もフランス語もウォロフ語も彼の地元のセレール語も堪能、スペイン語も少しできるとか。ほかのセネガルの人とはちょっと違う不思議な人だと思ったら、宗教観の違いだったらしい。

 

僕がここで言いたいのは、宗教を信じることが悪いとかではなく、環境も大事だけど、自分の脳で客観的に見る力がその人の人生を左右されるということ。ムスリムもクリスチャンも仏教徒も関係なく、人として客観的に自分を見る能力っていうのが、ある意味教育の賜物になりあるんじゃないかと思ったり思わなかったりする。

 

環境のせいにせず、自分で切り開きなさいよ。それを学びました。

環境すら、自分で変えればいいんだ。元ストリートチルドレンの賢者はそう伝えてくれた。