6月30日。
あまり孝行者ではないので恥ずかしいが、ここまでお世話になった先生のみなさんには非常によくしてもらっている。小学校から大学院の今に至るまで、「ハズレ教員」に当たったことがない。小中高と先生と生徒間の距離が近いときによくしてもらったのはとてつもなくありがたい。ヤンキーになることもなかった。
しかしながら大学のゼミとなるとそうでもないパターンをよく聞く。片手間教員なんてザラだ。教員も教員で研究しなくちゃいけないもの。そんななか、僕の選んだゼミはそれはそれはいいゼミだったと思う。
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教授でよくあるパターンとして、典型的なボスザルである。教授が絶対。隣のゼミだと教授のこれまでの論文を読まされたとか、読書会では教授に反論されるの確定だとか。
しかしながら僕らのゼミの先生はそれはなかった。むしろ、どんな意見を言ってもとりあえずは肯定してくれた。難しいかもねとか、現実的じゃないかも、ということは言っても、やってみたらきっと面白いでしょうからやりましょう。と無責任にもやらせてくれた。
結果に責任をもったかどうかは置いといて、とにかく僕が在籍した専門性の薄い学部において、先生からGOサインをもらえることはどれだけ心強かったことか。その後については自己責任だもの。研究だもの。
それと、研究する上での作法をとにかく大事にした。引用するポイントだとか、引用の書き方だとか、先行研究や参考文献の漁り方だとか。
そういう基礎はちゃんと押さえつつ放任主義だった。
お忙しすぎることもなく、まったくの放置プレーでもなく、ちょうどいい塩梅で背中を押し続けてくれたと思う。僕の院進が決まった時も珍しくタメ語で喜んでくれた。
距離感が上手い人だったんだろうな。
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一緒にいて心地いいのは、距離感をわかっている人なんだな。近くて肩組んでくれるタイプも嫌いじゃないけど、ちゃんとマイスペースは欲しい。そしてなにより、私に対して敬意を払ってくれる。年下だからとか、入門者だからとかいう理由で軽んずることなく、対等に扱ってくれた。もちろん心の中じゃあまだまだ青いなとは日々思っているだろうけど、それでも言葉と行動では、敬意に溢れていた。
それでいて、失敗やダメな姿をちゃんと見せてくれた。日々追われていること、研究がイマイチなこと、事務室に怒られたことなど。まだ中年前の若い兄貴的な年齢もあるかも知らないけど、おそらくこれからも愛される先生だろう。
最近やたら帽子を後ろかぶりにするのは、その先生をたまたま見かけたスタバでそうしてたから。
一種あこがれのような、そういう大人だ。
そういうおとなにぼくはなりたい。
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戦闘力82日目
631(+8)
勉強+5
その他+3
全人に対して敬意を払いつつ、自分はまだまだだと言い聞かせ、それでいて筋を通し、そして譲ることはない。
その姿はははるか先だなぁ。