7月1日。
友人に会うためだけに夜行バスに乗る。
到着して昼過ぎまでにラーメンを2杯食べる。
コロナ開け初の客として川下りをする。
台湾飯屋という看板のタイ料理屋に行く。
ノリのいい店員さんに乗せられて高い魚を食べ散らかす。
取るにたらないことだ。地球のなにか助けになったわけでもなければ、問題解決の糸口を見出したわけでもない。強いて言えば経済を回したくらいだが、それも微々たるものだ。
こんな日のことをきっと忘れてしまうから。
無責任でいたい。そしてずっと覚えていたい。
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生まれてこの方23年。きっとこんな楽しい日をたくさん過ごしてきたことだろう。しかしながら、楽しい思い出を具体的に思い出すのは難しい。写真を見て思い出してみても、なんだかぼんやりしていて、なんとなくその日は良い1日だったなぁと。できてもそれくらい。ほとんどは写真を見ても、本当に自分なのか確信を持てなかったりするのが大半だ。
改めて考えると悲しい。あんなに時間をかけて、あんなにお金をかけて、ようやっと楽しい時間にありつけたのに。数年後に出てくるのは漠然とした良の感情だけだ。もっと具体的に味わった記憶を鮮明に思い出したい。
悲しい記憶を鮮明に思い出せるくらいに楽しい思い出も写真の中のぼくだけでなく、写真の前のぼくにも蘇らせておくれ。
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だけども、そんな亡霊みたいな楽しい思い出たちが無数に無限にぼくの背中に乗っている感覚がある。その亡霊がいるからこそ、ぼくは楽しいのがどういうことかを知っている。亡霊がいるからこそ、悲しいこともよくわかる。
具体的な姿を失っても、なんだか楽しい何かがいるおかげで、ぼくはいつでも楽しくありたいと思える。むしろ、具体的な姿を失うからこそ、抽象的な感情に飲み込まれていって、少しずつ楽しいことが大きくなっている。
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しかしながら、いまさっきまで体感していた気持ちよさはなにものにも替えがたい。忘れたくない。ずっと抱きしめていたい。
でも、きっといつかは忘れてしまう。忘れて、楽しい亡霊に飲み込まれていく。ときどき、亡霊の中から顔を出すことはあるけど。
忘れてしまうから、無責任に両手放しで楽しみだけを噛み締めていたい。そしてできることなら、ずっと味わい続けたい。
ありがとうね。
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戦闘力83日目
636(+5)
勉強+1
その他+4
忘れるから次のステージが待っている。だが、今のステージを心ゆくまで楽しむためには忘れないことかも。いつかどうせ忘れてしまうんだもの。反芻するくらいでちょうどいい。