ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈686.祈り、願う。〉

8月14日。

 

砂一粒のこの願い、どうか聞いてはくれないか。

 

 

将来の夢の話。

高校や大学の同期は社会人2年目になっている。会社に入った人が大半。残りは今年社会人一年目であったり、医学部薬学部で勉強したり、あるいは僕みたいに大学院に行ったり。

おそらくみんな、小学校の卒業文集にはいろんな夢を書いたろう。サッカー選手、オリンピックで金メダル、漫画家などなど。キラキラ輝く未来を見ていた。僕もそのひとり。

 

そんな昔の夢はとうの昔に変わっている。

「普通」であることを恐れなくなった。「みんなの特別」にならずとも幸せになれると気づいている。気づいてなくてもそれで十分いいものだと知っている。

 

皮肉ではない。それが真実。宇宙の中の地球、140億年の歴史でいえば、たかがひとりの人生なんてほぼ意味をなさない。砂漠の一粒の砂と大差ない。

 

 

同期の医学部のやつと話をした。

君はいったいなんのために医者になるんだい?

「医学部に入ったからね。」

 

そうか。それで生きていいんだ。それが生きるということか。

わからない未来を憂い、やりたいことを見つけられずに悩む。そんな考えたところで、ただの一粒の砂になにができるというんだ。

生きているから、生きていく。そうして幸せを見つけていく。それで十分だったのか。それが普通を恐れないということか。

 

 

高校の頃、僕は世界平和のために生きることを志した。祖父みたいに、なんだか偉い人になりたい。

 

大学に入る直前、親友が死んだ。

大学に入って、ケニアの田舎に行った。

 

「貧困」の代名詞アフリカは想像してたほど「不幸」ではなかった。僕とおんなじように悲しむし、おんなじようにお腹が空いて、おんなじように笑う。ただの僕の妄想だった。

 

世界平和がそんな簡単じゃないことをようやく知る。それを僕ができるだろうか。そんな器はない。器にはひびがはいっていた。

 

ひびには、死んだ親友への後悔が埋め込まれている。

 

 

普通のおじさんになることにした。ただの優しいおじさん。

優しいおじさんになって、死んだ彼の話をする。そこに教訓めいたことを入れるかどうかはわからない。ただ、彼が物語になって、物語として周りの人たちを笑顔にする。生前彼がしていたように。

それが彼への恩返しであり、僕ができる贖罪である。

 

同時に怖い。彼が僕の語りによって、別の彼に作り替えられてしまう気がする。僕は彼の生きた18年間を背負えるだろうか。背負っていいのか。

 

 

そういうことじゃない。

背負い方のひとつとして、僕は物語を通して彼に生きてほしい。

 

「歴史にifはない」今日読んだ本に何度も出てきた。ifはない。事実彼はもういない。

でも、ifを語ることで歴史を知るための一歩にもなりうる。僕はそれをゲームを通して、小説を通して、漫画を通して知っている。だからこそ、「彼が生きていたら」「彼だったら」というifを物語ることで、彼を知る手がかりを残せる。

それなら僕はしたい。物語ることで、彼がしていたように周りの人を笑顔にする。それが僕なりの弔いなんじゃないか。

 

 

平和の守護者っていう特別な存在よりも、二人の不幸者について物語ること。そういうただの優しいおじさんになりたい。立派な作家にも、立派なクリエイターにもなれなくていい。

でも、ちょっとお金は欲しい。おいしいものを食べたいね。

 

周りにいる人がちょっと優しい気持ちになって、ちょっといい時間を送ってくれる。それでいいんじゃないか。それがいいんじゃないか。

 

砂一粒のこの願い、どうか聞いてはくれないか。

 

 

戦闘力127日目

897(+8)

勉強+4

その他+4

 

そうやってひびが埋まってようやく、誰かのために生きる自信を得られる気がする。