〈753.日常のダークネス〉
10月20日。
一寸先は闇。
光が当たっていると思っていたらいつのまにか闇にいる。そんなことは言葉ではわかるけども、現実的じゃなかった。なんとなくそうなんだろうとは思うけど。
犯罪をする人間というのは、同じ人間だ。これも言葉ではわかっている。それなのに、やっぱり身近にはいないし、道路交通法以外の法律はあんまり知らなくてもそんな問題ないだろうと思うくらいにはぬるい生活を送れている。
家から自転車で10分。そこで待っていた闇を裁く会場の話。
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裁判は基本的にはだれでも見学できるとは聞いていたけど、やはりハードルがある。
裁判をみたいと言っていた後輩を連れて行ってみた。荷物検査はあるけれど、すんなり中に入ることはできる。拍子抜け。こんなにも日常の延長にあるものなのか。
入り口付近にある、実施する裁判一覧表を見て、会場に行く。もうそこが裁判会場だ。これまた拍子抜けである。こんなにも闇は近くにいたのか。
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裁判の詳しい話はしないけど、なんともまあ地味だ。一日の裁判で証言聞くところから判決までやるもんだと思い込んでいた。
ところがどっこい、一回の裁判と言っていいのか?審議だったり、判決だったりと、細かく分かれている。実際に見たのもわずか30分程度。
裁判長が実際に話すことは想像してたよりも、圧倒的に普通なことだった。地味だ。
弁護士の人も、検事の人も、なにもない。判決の言い渡しはこんなものか。
この地味さ加減が逆におそろしい。
まるでちょっとした会議の結果を話しているけども、その会議の結果は人1人の人生の話だし、その結果が出るまで一年を要している。それがこんなにもあっさりとなされるものか。
この種類の恐怖は知らなかった。
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他の傍聴人の方々もいろんな人たちがいた。学生らしいひとたちもいたし、老後のサークルの一環だろうか、なかなかにぎやかに"楽しんでいる"ように見える人たちもいた。
ダークツーリズム研究の端くれとして、ダークネスを楽しむことについて研究していた論文を思い出す。人の苦しみはポルノグラフィのように愉悦をもたらすとかなんとか。そこには物語性とスペクタクル性が必要とか。
裁判なんてたしかにもってこいだ。葛藤の中で犯罪をし、それがまさに目の前で裁かれる。それを安全な席から眺める。
なんともおそろしい趣味だと思う一方、自分も同じ穴のムジナでもある。
楽しみを見出すのはいいが、自分がそのダークネスに堕ちないように気を張らなきゃならんと思った。
「ある意味、社会常識を小さい頃に叩き込まれてよかったですわ」
帰り道、後輩がポツリと言った。
ここまでは"たまたま"常識に則って生きてこれたけど、学生という一種親の保護下から外れると、ほぼ全てを自分の責任としてのしかかることになる。
安心しちゃあいけない。むしろここからが社会で生きるということだろう。闇に堕ちないよう、絶えず闇を睨み続ける覚悟が必要だ。
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戦闘力193日目
1303(+12)
勉強+2
その他+10
とはいえ、睨み続けては光を見ることができない。闇があることを忘れないことが大切なのだ。
一寸先には闇があるのだ。