10月21日。
ひさしぶりに壁打ちをした。
筋力が落ちているのがわかるのですごく寂しくなる。あんなにやってたのにこんなにも脆いなんて。
そのわり結構一発思い切り打つのはそんなに落ちてないので、そこそこのスピードは出ているはずだ。その証拠にとなりで壁打ちしてたおじさんがガッツリこちらを見ていた。人に見られるっていうのはすごくガッツが出るもんなのよねん。
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23の僕にとって、いろんなことに未来はあるけども、テニスに関しては未来は何もない。同じ23歳がワールドツアーで頑張っているのを見ると、情けなくも思えてくる。僕はテニスを捨てた代わりに何を得たのだろうか。
より良く生きなきゃならんと常にどこかで思っているのは、そちらの未来を捨てたことを肯定したいからなんだと思った。自分が選択したものを肯定するのは言うは易し行うは難しだ。
あちらを選べば良かったとかこっちだからダメだったとか、そう過去についてあれこれ考えてしまうし、そのくせまあどうにかなるとか未来もろくに考えてない。
ちゃんと責任をもって、自分の人生を生きれているだろうか。
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過去をあれこれ考えるのは、責任を過去の自分に押し付けているからに他ならない。
未来を適当にしておくのは、責任をいまの自分が背負わないようにしているからだろう。
同じ自分とはいえ、過去も未来もある意味では今の自分ではない他人だと考えることもできる。つまり、自分の人生のくせに自分で背負ってない。誰かに任せているということだ。
なるほど、心がすごく痛いです。
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壁打ちをしながら、体力の低下を嘆くのはテニスについてもう責任を負わないつもりだからでしょうか。
そうじゃない。ただ、自分はそんなもんじゃなかったんだぜ、と傷つかないように予防線を張っているだけだ。
体力が落ちているのは、これまでの自分がそういう選択をしてきたからであり、その選択を自分もしようとしていたわけであります。
隣のおっちゃんがこちらを見つめる視線は、もっと輝かせることができるはず。〇〇のために頑張る、というのはいままさにそれについて責任を負ってやろうと覚悟を決めている様なんでしょうな。
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戦闘力194日目
1309(+6)
勉強+3
その他+3
「今を生きる」。中学校の卒業文集での僕のタイトルです。こんなに難しくて、それでいてかっこいいことだとは知らなかった。名付けてくれた担任の阿部先生、いまごろなにしてんだろうな。
そういや鬼滅、おもしろいですね。