12月7日。
一昨日からホウチガの更新をサボってた。体調悪いとかメンタルが良くないとかそういうのではなく、本当に面倒だと思っただけだ。
いや、そういう毎日のルーティンをこなせなくなるってのはちょっと問題かもしれない。ちょっと真面目に考えましょう。
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この文章は10分から20分で一つができてパッと出してしまう。その30分未満の時間をめんどくさいと思うこと、そこには脳のキャパシティを割きたくない、あるいは考えることがめんどくさいという心がある。
キャパにせよ思考停止にせよ、現状に対してうまく順応できてないことの現れであることに間違いない。現に、更新できている今日はちゃんと現状に順応できたから。
となると、なにが問題なのか。
間違いなく論文と就活のダブルアタックである。みなさんご存知の通り、どちらも人生のターニングポイントであることに変わりない。
論文はこれまでの学生生活の最後の集大成。いわば24年間の努力の結晶である。
それに対して就活はこれまでの24年間から次の30年40年に向けてのスタートラインに立つ儀式である。
いうなれば子供から大人へと変化する瞬間を今迎えている。人類学でもそのターニングポイントにある儀式はよく取り上げられるわけでして、どんな地域であってもその儀式は大事にされるわけだ。
例に漏れず、僕自身大事にしているわけでその二つがいっぺんに押し寄せてくる。
そして長老とかそういう一人に対して一つのことをやればいいわけじゃなくて。論文は大学に対して、就活は無限にある会社群に対して。
別のアクターに対して同じパワーをかけ続けなくちゃいけない。
そりゃあまあストレスだ。
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そういうのを含めて全ての現実に対して逃避行動を取ろうとした結果、ホウチガからも逃避をする。なんという逃げ腰だろうか。
いやまあ仕方ないっすよ。難しいんだもん。人生難しいね。期待すればするほど難しくなる。
期待するのを辞めて、何にも望まなくなれば楽になれる。一種の解脱ですな。
どっちをとっても良い。こういうふうに言われると「諦めないのが良い!」っていう解答が正解なような気がするけど、そうでもない。
結局報われるか報われないかは五分五分だろう。
つまりどんな言い訳を並べても、結局すべて自分のせいであり、世界のせいでもある。
ならば、やりたいからやってるんですっていう進み方をいまは選べるから、そうしたらいいんじゃないですかね。
まだ社会的責任のない「子供」なんだから。
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戦闘力241日目
1553(+4)
勉強+3
その他+1
こうなるとなにをもって子供かなにをもって大人か、その境界の付け方がわかってくる。僕にとって大人とは、こどもとは。
その線引きを使っている間はまだ子供だとも思えてくるぞ。
なんでもええやないかそんなもの。