12月10日。
前々から冬場は永遠に鼻水が出ていた。誰でもそういうもんだと思っていたけども、僕の場合はかなり場面が限られてくる。研究室に到着、入店、帰宅、風呂上がり。つまり温度差がある時が激しく鼻が出る。
みんなそういうもんだけども、高校とかの冬場のテニスはテッシュなしにはできなかった。この症状、どうやら寒暖差アレルギーっていうらしい。
なんとなく流していた動画でそんなことを言ってた。もちろん、お医者さんに診断されたわけじゃないから決定できないけども。
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もし本当に寒暖差アレルギーっていうのであれば、唯一のアレルギーである。持病?といっていいのかしら。しかしなんか不思議な気持ちだ。
病気持ちとかアレルギー持ちとなると、日常から大変な人、とかそういうイメージを持ってしまっていた。もちろん実際そういう人もいると思う。友人でそういうのと付き合っていくのはしんどいと言っている人もいた。
ただ、「病気持ち」っていうレッテルが僕の思考をかなり縛っていたみたいだ。前々から言ってたけど、誰しもなにかしらの「病気」持ちである可能性はあるわけで、名前がつけられてないこれから名付けられる「病気」もあるだろう。
となると、僕が「寒暖差アレルギーなのでエアコンの主導権ください」というと「私は人工風アレルギーなのでエアコンつけないでください」という人もいるかもしれない。
非常に根源的な話、みんなの境遇を推し量りつつ互いに尊重し合うっていうのをもう一度考え直さなきゃならんなあと思ったわけです。
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もちろん僕は車イスを使わずとも不便なく暮らせるし、心臓にチップがなくても問題なく走ることもできる。なので比較的苦労の少ない生活を送れていると思う。
しかし、まだ発見されてない精神病にかかっている可能性もゼロではない。実はどこかの血管に爆弾を抱えているかもしれない。わからない。
みんながみんな同じ理由で、可哀想だし恵まれている。絶対的な天秤もないので。これは黒人は奴隷でも良いってされてた1-3世紀前の反省でもあるでしょうな。
絶対的な平等で命は考えなくちゃいけない。だから変に意識するのはいけないし、意識しないのもいけない。
こう言ってみると小難しい気がしてくるけど非常に単純な話でしかなくて、お互いに常に敬意を払うこと、これを徹底すればいいだけで。
徹底的な敬意があれば、言い出しにくい問題も言えるようになるだろう。
つまり、優しくなりたいなっていう話。
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戦闘力244日目
1568(+4)
勉強+3
その他+1
寒暖差アレルギーだとしても僕はなにも変わらないし、これからも何も変わらないだろう。やたらめったらに主張するのは自分を混乱に陥れるだけだから。意識しすぎない方がよろしかろう。