ホウチガブログ

~方向性の違いでブログ始めることになりました。~

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〈838.認識のこと〉

1月13日。

 

ついに論文も終わりを迎えようとしている。すでに提出は済ませたけども、その内容を発表して、認めてもらえたら晴れてマスターになれるわけだ。

ようやく2年間、いや学部からの6年間が修士号という形で報われることになるのかもしれない。最後のがんばりだと思う反面、2年前の気持ちを思い出すと、思ったよりこんなものかなんていう気持ちもないわけでもない。なにごとも身を置いてまないとなんともいえないなぁという話。

 

 

マスターといえば僕は一流だと感じてしまうし、修士号持ってますというととんでもなく賢いやつだと思っていた。いざもらえるかもしれない段階にいる自分を思うと、思ったより半人前だし先生方から見てみたらまたまだ学生みたいなものだと思う。

2年前はここで勉強すれば一人前の研究者として胸を張れるだろうと思っていたけども、知識もまだまだ足りないところばかりだし、見えている課題もいくらでもあげられる。とはいえ頑張ったんだという点もあるので、そこを認めてあげる意味でも修士号はきっちりいただきたいところ。

しかしまぁ、これでいいのか感を思ってしまう。

 

 

よく聞く話、完成させるよりも締め切りを守りなさいということがある。全くもってその通りで、自分でいかに満足できるのかも捨ててはいけないけども、社会で生きる過程においてはきちんと約束を守れるということがとにかく大事だと思う。質が高いに越したことはないけども。戦い方はいくらでもある。

しかし相当才能がない限り、約束を破れば信頼関係は崩れる。信頼関係がなくなったら、その人その団体との連絡を取れなくなってくる。

仕事であれば直接的に影響が出てくるし、人間関係でも間違いなく損するのは自分だ。

 

そこで相手は自分のことを思ってくれる範囲は小さい。結局相手のことはよくわからない。いくらその身に置いてみようとしても、完全に相手の行動の文脈を再現できるわけない。

そういう意味で、信頼関係を守るためにもお互いの共通理解の約束を守ること。

 

 

相手のことはわかるけども、完全に理解できることはない。

だからこそ個性があるわけなんだけども、理解ばかりに努めるだけじゃなくて、理解されないことも把握した上でどうコミュニケーションを取るかが大事なんですな。

 

逆にいえば、僕がイマイチ修士号だったとしても説明の仕方次第ではある程度秀才修士号として見せることもできなくはないと思う。

認知ってそれくらいガバガバなんだろうな。

 

 

戦闘力278日目

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パソコン作業するのはいいけど、パソコンが弱々しいので時々止まるのがこまる。買いたいですね、新しいやつ。